石谷清職
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 寛文9年(1669年) |
死没 | 享保6年9月23日(1721年11月12日) |
改名 | 永井?眞元→石谷清職 |
別名 | 杢之助 |
戒名 | 道起 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 永井氏→石谷氏 |
父母 |
父:永井元孝、母:玉虫重茂の娘、 養父:石谷清信 |
兄弟 |
女子(石谷清職の妻)、女子(石谷清定の妻、蜂屋貞廷の妻) 養子:石谷清職 |
妻 | 石谷清信の娘、後妻:堀利安の娘 |
子 | 石谷清胤、女子(堀利安の養女)、石谷清候、女子(松平親元の妻) |
生涯
[編集]永井彦兵衛元孝の4男として生まれる。元禄9年(1696年)7月9日、養父である石谷清信の跡を継ぐ。同年8月13日、徳川綱吉に拝謁する。元禄16年(1703年)3月9日御書院の番士となる。宝永2年(1705年)、甲斐国の領地を駿河国有渡安倍二郡へ移される。宝永3年(1706年)1月27日、諏訪忠虎のところで幽閉されていた吉良義周(吉良義央の孫)が病死したため、信濃国諏訪に赴き、検使を務めた。宝永5年(1708年)7月25日、御使番となる。同年12月18日、布衣を着用を許される。宝永7年(1710年)1月11日、御目付となる。正徳元年(1711年)7月18日、評定所での勤務を賞されて端物二端を賜る。正徳4年(1714年)1月11日、二ノ丸の御留守居となる。享保元年(1716年)3月22日、御先銕炮の頭となった。
子女
[編集]- 石谷清胤
- 御書院の番士となった。
- 女子
- 堀織部利安の養女となる。
- 石谷清候
- 兄である石谷清胤の跡を継ぐ。
- 女子(松平親元の妻)
- 松平太郎親元の妻となる。
参考文献
[編集]- 『新訂寛政重修諸家譜14』