石谷清夤
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄15年(1702年) |
死没 | 宝暦元年閏6月11日(1751年8月2日) |
別名 | 十助 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 石谷氏 |
父母 |
父:石谷清長、母:久松定久の娘 養父:石谷清定 |
兄弟 | 石谷清定の妻(義姉)、清夤 |
妻 | 新井白石の娘 |
子 |
清盈、銕次郎、清馨、兵三郎、清茂、清憐、 女子 |
石谷 清夤(いしがや きよのぶ、元禄15年(1702年) - 宝暦元年閏6月11日(1751年8月2日))は、江戸時代の旗本。
概要
[編集]宝永2年(1705年)2月19日4歳の時に、宝永元年(1704年)10月8日に死没した姉婿である石谷清定の養子としてその遺跡を継いだ。
享保4年(1719年)10月18日、書院番の番士となる。享保12年(1727年)10月、徳川吉宗の日光社参の際に大宿割を務めた。
同年12月18日、布衣を許される。享保20年(1735年)閏3月29日、徳川家重が浅草辺に放鷹に行った際、勢子への指揮が悪いと咎められて、同僚青木与兵衛信裕と供に拝謁禁止処分となり、同年5月1日に処分を解かれた。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』