石谷因清
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 宝暦9年(1759年) |
死没 | 寛政6年5月6日(1794年6月3日) |
別名 | 榮蔵、十蔵 |
戒名 | 宗石 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 石谷氏 |
父母 | 父:石谷澄清、母:坪内定堅の娘 |
兄弟 | 石谷因清、女子(坪内定安の妻) |
妻 | 石谷清昌の娘 |
子 |
豊吉、榮次郎、女子(石谷直清の妻)、 養子:石谷直清 |
生涯
[編集]安永2年(1773年)3月25日、15歳の時にはじめて徳川家治に拝謁する。安永9年(1780年)4月4日に父である石谷澄清の遺跡を継ぎ、天明元年(1781年)5月7日に御小姓組の番士となり、天明5年(1785年)9月に遠江国榛原郡の領地を遠江国豊田・城東二郡に移された。のち、的を射て時服を賜ったという。
子女
[編集]- 豊吉
- 早世
- 榮次郎
- 石谷直清
- 仁賀保誠善(旗本、1,000石)の三男であったが、石谷因清の娘を妻にしてその跡を継いだ。
- 女子
- 石谷直清の妻となる。
参考文献
[編集]- 『新訂寛政重修諸家譜14』