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石田保昭

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石田 保昭(いしだ もりあき、1930年9月30日[1] -2018年5月18日 )は、日本インド史学者。

東京大学教養学部講師[2][3]として東洋史を講義していたが病気療養のため辞職[4]

経歴

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千葉市生まれ。陸軍幼年学校で学ぶ[5]1953年東京大学文学部東洋史学科卒。1958年 - 1961年インド政府外国語学校教官としてニューデリーに滞在。

帰国後著した『インドで暮らす』は「ユニークなルポルタージュであり、実証という水準においてスメドレーの中国ルポルタージュに優るとも劣らず、ありきたりのインド紹介論とは全く趣を事にしている」と中村平治が評している[6]

交友

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イスラム学者の板垣雄三とは小学校からの同級生[5]

家族・親族

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石田家

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父は陸軍中将石田保忠。母文枝(元女医)は陸軍少将大橋常三郎の長女[7]。伯父には内務官僚から政治家になった大橋武夫のほか、陸軍大佐石田保政がいる[5]

代言人弁護士)の北田正董は曾祖父(母方の祖母酉の父)[8]。外交官北田正元(初代駐アフガニスタン公使[9])は大叔父[10]樋口一葉と共に女流作家として活躍した北田薄氷は大伯母[10]

著書

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参考文献

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  • 「インドで暮らす」著者略歴
  • 石田文枝『知らず知らずに九十五歳 : 元女医の人生ひとり歩き』川喜多コーポレーション, 博文館新社(発売)、2001年。ISBN 978-4-89177-988-7全国書誌番号:20230285https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003051570-00 

脚注

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  1. ^ インド現代史”. 国立国会図書館. 2017年3月17日閲覧。
  2. ^ 『教養人の東洋史 下 15世紀から現代迄』奥付著者略歴、田中正俊小島晋治新島淳良三木亘、石田保昭著(1966年3月15日初版第1刷、1972年4月30日初版第11刷)現代教養文庫 社会思想社 ISBN 9784390105484
  3. ^ 田畑書店編集部『私はこう考える : 東大闘争・教官の発言』田畑書店、1969年。doi:10.11501/12121662全国書誌番号:71010203https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/assets/90ee1af0-ecf0-4224-94b7-5d62e282d6db 
  4. ^ 板垣雄三, 長沢栄治, 阿久津正幸『板垣雄三先生インタビュー』人間文化研究機構地域研究推進事業「イスラーム地域研究」東京大学拠点〈TIAS Middle East research series〉、2012年。ISBN 9784904039540https://hdl.handle.net/2261/534032022年10月11日閲覧 
  5. ^ a b c 阿久津正幸『板垣雄三先生インタビューvol.2』人間文化研究機構地域研究推進事業「イスラーム地域研究」東京大学拠点、2014年https://hdl.handle.net/2261/557552022年10月11日閲覧 
  6. ^ 中村平治「日本における現代インド政治の研究」第11巻第1号、アジア研究、1964年、2017年11月11日閲覧 
  7. ^ 知らず知らずに九十五歳.
  8. ^ 知らず知らずに九十五歳, p. 61.
  9. ^ 日本・アフガニスタン協会の沿革と業績
  10. ^ a b 知らず知らずに九十五歳, p. 63.