石川豊麻呂
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位上、造宮大輔 |
主君 | 孝謙天皇→淳仁天皇→称徳天皇→光仁天皇→桓武天皇 |
氏族 | 蘇我氏流石川氏 |
石川 豊麻呂(いしかわ の とよまろ)は、奈良時代の貴族。官位は従五位上・造宮大輔。
経歴
[編集]孝謙朝において、造東寺司判官を経て、天平勝宝9歳(757年)従五位下に叙爵。天平宝字7年(763年)鋳銭長官に叙せられるが、淳仁朝から称徳朝にかけて政変(藤原仲麻呂の乱か)に巻き込まれたらしく官位を剥奪される。
光仁朝の宝亀4年(773年)罪を赦され、本位(従五位下)に復して左京亮に任ぜられる。宝亀5年(774年) 3月に尾張守として地方官に転じるが、翌月には美濃介に遷る。宝亀9年(778年)従五位上・造宮少輔に叙任されて京官に復し、天応元年(781年)桓武天皇の即位後まもなく造宮大輔に昇格している。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天平勝宝4年(752年) 10月25日:見造東寺司判官[1]
- 天平勝宝9年(757年) 8月4日:従五位下
- 天平宝字5年(761年) 日付不詳:見巡察使[2]
- 天平宝字7年(763年) 正月9日:鋳銭長官
- 時期不詳:官位剥奪
- 宝亀4年(773年) 2月29日:従五位下(復本位)。5月19日:左京亮
- 宝亀5年(774年) 3月5日:尾張守。4月24日:美濃介
- 宝亀9年(778年) 正月16日:従五位上。2月23日:造宮少輔
- 天応元年(781年) 5月25日:造宮大輔