石川弥八郎 (17代)
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17代 石川 弥八郎(彌八郎、いしかわ やはちろう、1934年(昭和9年)7月11日[1] - 2012年(平成24年)9月21日[2])は、昭和から平成時代の政治家。醸造家。東京都福生市長。旧名は慶一郎[1]。
出自
[編集]石川家は幕府天領(熊川村字南・字熊川牛浜、現福生市熊川)の名主役[3]。13代目の石川弥八郎和吉の時、酒造りを始めた[4]。
経歴
[編集]1957年(昭和32年)慶應義塾大学法学部卒業後、石川酒造所に入る[1]。1965年(昭和40年)石川酒造設立に際し取締役、1977年(昭和52年)社長[1]。のち会長[2]。
1979年(昭和54年)福生市議会議員に当選[1]。1985年(昭和60年)弥八郎を襲名[1]。1988年(昭和63年)福生市長に就任し[1]、3期務めた[2]。
2012年(平成24年)9月21日、心不全のため死去した[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 日外アソシエーツ 1999, 33頁.
- ^ a b c d “訃報:石川弥八郎さん 78歳=元福生市長、石川酒造会長 /東京”. 毎日新聞 (2012年9月25日). 2020年10月5日閲覧。
- ^ 武蔵野郷土史刊行会 1977, 49頁.
- ^ a b “石川酒造について”. 石川酒造株式会社. 2020年10月5日閲覧。
- ^ 武蔵野郷土史刊行会 1977, 50頁.
- ^ 武蔵野郷土史刊行会 1977, 274-275頁.
- ^ “the鯉のぼりライブ大盛況!!(13.4.25)”. 石川酒造株式会社 (2013年4月25日). 2020年10月5日閲覧。
参考文献
[編集]- 『多摩の人物史 古代より現代まで800人』武蔵野郷土史刊行会、1977年。
- 日外アソシエーツ 編『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X。