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石垣市歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石垣市歌

市民歌の対象
石垣市

作詞 玻座間里芳
作曲 仲里長宜
採用時期 1967年4月8日[1]
言語 日本語
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石垣市歌」(いしがきしか)は、沖縄県石垣市が制定した市歌である。作詞・玻座間里芳、作曲・仲里長宜。

解説

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映像外部リンク
八重山の名曲で巡る石垣島観光名所@平久保崎灯台【 石垣市歌 / ATHE DANGANEEDS 】 - YouTube(石垣市公式観光情報チャンネル)

沖縄がアメリカ合衆国統治下に在った1967年(昭和43年)4月8日に制定された[1]。歌詞は懸賞募集に拠り、入選者の玻座間里芳は医学博士で戦後に台湾から引き揚げて石垣市内で産婦人科を営んでいた[2]

制定意義は「全市民の英知を集め限りない愛郷心を深め、お互いに市民が手を取り合って邁進していく心の結びつきと、新市の主とする明るい住みよい理想郷を建設致したいという主旨」とされ[1]、4月21日に商工祭で発表演奏が行われた[3]石垣市役所では市歌の演奏機会について「市制施行記念式典(毎年七月一〇日)、市主催の成人式などで歌われる」としているが[1]、公式サイトでは紹介されていない。

参考文献

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  • 牧野清『新八重山歴史』(私家版、1972年) 全国書誌番号:73008532
  • 『南溟会創立五十周年記念誌』(南溟会本部、1979年) NCID BA48530710
  • 中山裕一郎 監修『全国 都道府県の歌・市の歌』(東京堂出版、2012年) ISBN 978-4-490-20803-0

出典

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  1. ^ a b c d 中山(2012), p427
  2. ^ 南溟会(1979), p222
  3. ^ 牧野(1972), p501

関連項目

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