コンテンツにスキップ

石原正武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
石原正武
時代 江戸時代前期
死没 元禄元年5月5日1688年6月2日
改名 長十郎(幼名)→ 正武
別名 新左衛門(通称)
墓所 二本榎上行寺
幕府 江戸幕府 勘定 勘定組頭
主君 徳川家光家綱綱吉
父母 父:石原正種、母:山下八郎右衛門の娘
兄弟 清十郎、正武種門
正室:有賀種親の娘
正氏、娘(恒岡資儀室)
テンプレートを表示

石原 正武(いしはら まさたけ)は、江戸時代前期の旗本

生涯

[編集]

石原正種の二男として誕生。母は武田家家臣の山下八郎右衛門の娘。
寛永19年(1642年)3代将軍徳川家光に召しだされ、勘定方に列し、切米150俵を賜わる。寛文4年(1664年)6月11日勘定組頭に転じ、同年12月25日新たに100俵を賜わる。寛文8年(1668年)3月29日、常の精勤の褒美として黄金3枚を賜わる。天和2年(1682年)4月22日また100俵を加えられ、そののち勤めを辞し、小普請となる。元禄元年(1688年)5月5日死去。法名日明。

参考文献

[編集]