石原正武
表示
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
死没 | 元禄元年5月5日(1688年6月2日) |
改名 | 長十郎(幼名)→ 正武 |
別名 | 新左衛門(通称) |
墓所 | 二本榎上行寺 |
幕府 | 江戸幕府 勘定 勘定組頭 |
主君 | 徳川家光→ 家綱→ 綱吉 |
父母 | 父:石原正種、母:山下八郎右衛門の娘 |
兄弟 | 清十郎、正武、種門 |
妻 | 正室:有賀種親の娘 |
子 | 正氏、娘(恒岡資儀室) |
生涯
[編集]石原正種の二男として誕生。母は武田家家臣の山下八郎右衛門の娘。
寛永19年(1642年)3代将軍徳川家光に召しだされ、勘定方に列し、切米150俵を賜わる。寛文4年(1664年)6月11日勘定組頭に転じ、同年12月25日新たに100俵を賜わる。寛文8年(1668年)3月29日、常の精勤の褒美として黄金3枚を賜わる。天和2年(1682年)4月22日また100俵を加えられ、そののち勤めを辞し、小普請となる。元禄元年(1688年)5月5日死去。法名日明。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』 巻第980