石ヶ瀬川の戦い
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石ヶ瀬川の戦い | |
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戦争:戦国時代 (日本) | |
年月日:永禄元年(1558年) - 永禄4年(1561年) | |
場所:尾張国石ヶ瀬川畔 | |
結果:勝敗つかず[1] | |
交戦勢力 | |
水野軍 | 松平軍 |
指導者・指揮官 | |
水野信元 | 松平元康 |
石ヶ瀬川の戦い(いしがせがわのたたかい)は、永禄元年(1558年)から永禄4年(1561年)にかけて、尾張国で行われた合戦。場所は現在の愛知県大府市と同県知多郡東浦町の境界付近[2]で、3度にわたり戦闘が行われた[1]。
概要
[編集]しかし永禄年間になると駿河の今川義元の勢力が尾張国にも及び、永禄元年(1558年)から永禄4年(1561年)にかけて、織田信長と今川義元、そして織田氏と連合する水野信元と今川勢の松平元康(後の徳川家康)が石ヶ瀬川を挟んで衝突した[2]。
永禄3年(1560年)に桶狭間の戦いで今川義元が敗れると、織田・水野氏は松平元康と和睦した[2]。