知花サイト
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知花サイト | |
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恩納村、読谷村、コザ市 | |
知花サイト | |
種類 | FAC6023 |
面積 | 149,700 ㎡ |
施設情報 | |
管理者 | アメリカ陸軍 |
歴史 | |
建設 | 1945年 |
使用期間 | 1945年-1996年 |
知花サイト (ちばなサイト 英 Chibana Site) は、沖縄県の恩納村、読谷村、沖縄市にかけて所在したアメリカ陸軍のミサイル基地 (FAC6023)。沖縄返還後の1973年、陸上自衛隊那覇駐屯地白川高射教育訓練場に移管された。
概要
[編集]1972年5月15日の時点での基地概要[1]
23 | 知花サイト | 知花陸軍補助施設 | B表: 陸自白川分屯地に移管 |
喜名無線中継所 |
所在地
面積:約149,700㎡
歴史
[編集]知花サイト
[編集]- 1945年: 米陸軍がミサイル基地として開設。
- 1961年: 低高度用迎撃用のホーク・ミサイルが配備された。ホーク基地は知花サイトを含め、沖縄本島と渡嘉敷島に8ヶ所。
- 1972年5月15日: 沖縄返還で知花陸軍補助施設と喜名無線中継所が統合され、知花サイトとして提供。使用目的は「通信」。
ホークミサイルの配備
ホーク・ミサイル | 備考 | |
1 | ボロー・ポイント射撃場 (読谷陸軍補助施設) | 返還 |
2 | 知花サイト | 陸自 白川分屯地に移管 |
3 | 西原第二陸軍補助施設 (ホワイト・ビーチ地区) | 陸自 勝連分屯地に移管 |
4 | 多野岳サイト (羽地陸軍補助施設) | 返還 |
5 | 与座岳サイト | 陸自 南与座分屯地に移管 |
6 | 知念第一サイト | 陸自 知念分屯地 に移管 |
7 | 渡嘉敷陸軍補助施設 | 返還 国立沖縄青少年交流の家 |
陸上自衛隊への移管
[編集]第15高射特科連隊 白川分屯地 (157千㎡): 沖縄市白川にある管理地域と、同地域から約10㎞離れた恩納村、沖縄市にまたがる訓練地域からなる。引継ぎ白川分屯地にはホーク・ミサイル (地対空誘導弾改良ホーク) が配備されている[2]。
- 1972年5月15日:知花サイト (150千㎡) と嘉手納弾薬庫の一部 (20千㎡) の共同使用を開始。
- 1973年4月23日:大半の施設が米軍から陸上自衛隊に移管。5月1日、コザ分屯地開設[3]。
- 1974年4月11日:コザ分屯地が白川分屯地に改称[4]。
- 1977年11月30日:共同使用地域の残り部分である嘉手納弾薬庫の一部 (20千㎡) と、隣接する嘉手納弾薬庫の一部 (11千㎡) がそれぞれ陸上自衛隊に移管。
- 1996年12月31日:マイクロウエーブ局として米空軍第18通信隊が使用していた残りの1千㎡も返還され、2000年4月1日、白川分屯地に追加された[5]。
参照項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 沖縄県「米軍基地環境カルテ 知花サイト」平成29年3月
- ^ “第15高射特科連隊ホーム”. www.mod.go.jp. 2021年1月28日閲覧。
- ^ 駐屯地司令及び駐屯地業務隊等に関する訓令(昭和34年陸上自衛隊訓令第44号)の一部を改正する訓令(昭和48年4月12日陸上自衛隊訓令第15号)の附則
- ^ 駐屯地司令及び駐屯地業務隊等に関する訓令の一部を改正する訓令(昭和49年4月11日陸上自衛隊訓令第25号)
- ^ 防衛省「沖縄の米軍及び自衛隊基地」令和2年3月