矢崎虎夫
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矢崎 虎夫(やざき とらお、1904年〈明治37年〉7月25日 - 1988年〈昭和63年〉9月24日)は、長野県出身の彫刻家である。
来歴
[編集]長野県諏訪郡永明村(現・茅野市)生まれ[1][2]。平櫛田中に師事[1][2]。
1929年(昭和4年)院展に初入選、以降院展白寿賞を3回受賞する[1][2]。1964年(昭和39年)に渡欧し、オーストリアのウィーン大学で仏教芸術を講義した後、フランス・パリでオシップ・ザッキンに師事[1][2]。1966年(昭和41年)日本画府展で文部大臣賞を、1973年(昭和46年)には長野市野外彫刻賞を受賞[1][2]。
晩年は仏教を主題に木彫像を制作していた[1][2]。1988年(昭和63年)に東京都小平市の自宅で死去[1][2]。84歳没。
年譜
[編集]- 1923年(大正12年) 長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)卒業と同時に平櫛田中に入門。
- 1929年(昭和4年) 第16回日本美術院展に「カナリヤ」(木彫)初入選。
- 1931年(昭和6年) 東京美術学校(現東京芸術大学) 彫塑科卒業。
- 1934年(昭和9年) 日本美術院展「老母座像」入選。院友に推挙される。
- 1946年(昭和21年) 日展出品「バリ島の女の首」政府買上。
- 1948年(昭和23年) 茅野高等学校の校章に石楠花をデザインし作成する。
- 1952年(昭和27年) 法隆寺金堂再建の修復彫刻にあたる。
- 1953年(昭和28年) 日本美術院展白寿賞「若き女」。
- 1954年(昭和29年) 日本美術院展白寿賞「浴光立女」。
- 1959年(昭和34年) 日本美術院展白寿賞「立女」。
- 1964年(昭和39年) 渡欧オシップ・ザッキンに師事。
- 1965年(昭和40年) フォワイエ・デ・ザルテイスト画廊(パリ市)にて個展。
- 1966年(昭和41年) 日府展・文部大臣賞「雷電像」。
- 1970年(昭和45年) EXPO'70(大阪万博)に戦没者慰霊と世界平和を願った「平和観音像(世界平和同願観世音菩薩像)」を出展。
- 1971年(昭和46年) 大阪万博の ラオス館をラオス国王サワーンワッタナーから寄贈された中観会[4]が建物を諏訪市霧ケ峰に移築し、全戦没者の慰霊と世界平和を祈願する無宗派の寺院、「国際霊廟中観山同願院昭和寺」を建立、矢崎の「平和観音像」を安置した[5]。
- 1973年(昭和48年) パリ市ヴァンセンヌの森に「雲水群像」建つ[6]。同年箱根彫刻の森美術館大賞展「托鉢」当館に収蔵。
- 1974年(昭和49年) 長野市第一回野外彫刻賞「托鉢」。總持寺「雲水群像」建立[7]。
- 1976年(昭和51年) 木彫巨匠展出品。
- 1977年(昭和52年) 東京国立近代美術館「托鉢」収蔵、川崎大師内に「釈迦像」建つ。
- 1978年(昭和53年) 諏訪湖上に「八重垣姫[8]」建つ。
- 1979年(昭和54年) 亜細亜現代美術展内閣総理大臣賞「連弾」
- 1980年(昭和55年)茅野市永明寺山の山頂に戦没者慰霊と世界平和を願って「釈迦像」建つ。 第1回高村光太郎大賞展優秀賞「サリーを着た女」
- 1981年(昭和56年) 長野市に「大観音像」建つ
- 1982年(昭和57年) 第2回高村光太郎大賞展優秀賞「阿修羅」 勲四等瑞宝章叙勲、 茅野市名誉市民となる。
- 1988年(昭和63年) 茅野駅前に「調和」建つ。
- 1990年(平成2年) 蓼科高原の聖光寺境内に観音菩薩化身12体建つ。
- 1991年(平成3年) ピラタス蓼科ロープウェイ(現・北八ヶ岳ロープウエイ)に蓼科高原美術館・矢崎虎夫記念館開館。
代表作
[編集]- 諏訪大社上社本宮「雷電像」
- 箱根 彫刻の森美術館「托鉢」
- 霧ヶ峰昭和寺「平和観音像」
- 長野市霊園「托鉢」
- 永明寺山「釈迦像」
- 茅野市図書館「ラクダを曳く人」
- 茅野市役所「浴光」
- 尖石考古館(現・茅野市尖石縄文考古館)「縄文の手」
- 諏訪中央病院「すこやか」
所蔵美術館
[編集]蓼科高原美術館矢崎虎夫記念館
[編集]蓼科高原美術館矢崎虎夫記念館 | |
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施設情報 | |
専門分野 | 美術館 |
事業主体 | 北八ヶ岳スノーリゾート |
所在地 |
〒391-0301 長野県茅野市北山4035 |
位置 | 北緯36度03分30秒 東経138度17分05秒 / 北緯36.058236度 東経138.284741度座標: 北緯36度03分30秒 東経138度17分05秒 / 北緯36.058236度 東経138.284741度 |
アクセス | 北八ヶ岳ロープウエイ駐車場より正面に見える建物。ロープウェイより徒歩約1分 |
外部リンク | 蓼科高原美術館 |
プロジェクト:GLAM |
蓼科高原美術館・矢崎虎夫記念館は、矢崎虎夫の彫刻作品を主に展示している美術館。長野県のほぼ中央、避暑地として知られる蓼科高原にある。 北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅近くにあり、ロープウェイ運営会社がピラタス蓼科スノーリゾートと共に運営している。
- 開館時間 午前10時~午後3時(受付時間 10:00~14:30)
- 休館日 不定休 11月~4月は冬季休館。
- 入館料 大人 500円/子供 300円 (30名以上の団体場合は大人 400円/子供 250円)
外部リンク
[編集]- 矢崎虎夫 - 東京文化財研究所
- まちなかミュージアム - 蓼科高原美術館矢崎虎夫記念館が紹介されている。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『矢崎虎夫』 - コトバンク
- ^ a b c d e f g 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『矢崎虎夫』 - コトバンク
- ^ 茅野市美術館『工芸と出会う : この地の流れ』展(2021年)図録. NCID BC1368482576頁参照
- ^ 戦時中の昭和16年(1941年)長野、富山、石川県から召集された砲兵第一甲隊66名が、終戦後、昭和35年(1960年)に諏訪市で戦友会として中観会を結成した。
- ^ 参考文献1971年6月5日昭和寺建立を伝える南信日日新聞の記事参照、国会図書館
- ^ 大塚美術 沿革(鋳造所)
- ^ 總持寺 雲水群像奉安記 看板参照
- ^ 脚注:歌舞伎の『本朝廿四孝』のヒロイン。菊姫 (上杉景勝正室)がモデルとされる。
- ^ 「蓼科高原美術館」(2015年10月11日閲覧)。
参考文献
[編集]- 滝澤忠義「信州とフランス」1996年 桐原書店ISBN 978-4434229480
- 「矢崎虎夫作品集」1985年、矢崎虎夫作品刊行会. NCID BN14159205
- 矢崎虎夫「矢崎虎夫滞欧作品集 1964-1965」. NCID BN13017522