矢ヶ崎節三
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矢ヶ崎 節三 | |
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生誕 |
1893年11月3日![]() |
死没 | 1982年1月18日(88歳没) |
所属組織 |
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軍歴 | 1915年 - 1945年 |
最終階級 |
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矢ヶ崎 節三(やがさき せつぞう、1893年(明治26年)11月3日[1] - 1982年(昭和57年)1月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
[編集]1893年(明治26年)に長野県で生まれた[1]。陸軍士官学校第27期卒業[1]。1937年(昭和12年)10月に特設歩兵第115連隊長(第10軍・第114師団・歩兵第128旅団)に就任し[1][2]、日中戦争に出動[1]。杭州湾に上陸し[1]、南京攻略戦に参加[1]。雨花台、中華門に突撃し[1]、大なる戦果を収め[1]、徐州会戦にも参加した[1]。1939年(昭和14年)8月に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、1941年(昭和16年)8月に歩兵第238連隊長(第1軍・第41師団・第41歩兵団)に転じ[1][2]、臨汾に駐屯[1]。1942年(昭和17年)8月には北支那方面軍高級副官に就任した。
1944年(昭和19年)3月1日に陸軍少将進級と同時に仙台連隊区司令官に着任[1][2]。1945年(昭和20年)2月12日に警備第2旅団長(第1総軍・第12方面軍・東京防衛軍)に就任し[1]、東京都目黒で終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。