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真璃子のときめきホームルーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
真璃子のときめきホームルーム
ジャンル トーク番組
バラエティ番組
放送期間 1989年10月15日 - 1990年4月8日
放送時間 毎週日曜日 21:00 - 21:30
放送局 ニッポン放送
制作 ニッポン放送
パーソナリティ 真璃子
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真璃子のときめきホームルーム(まりこのときめきホームルーム)は、ニッポン放送の制作により放送されていたラジオ番組1989年10月15日開始、1990年4月8日終了。放送時間は毎週日曜日21:00〜21:30。

概要

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ニッポン放送ショウアップナイターの放送されていない、ナイターオフ期のみ放送されていた番組[注釈 1]パーソナリティ真璃子にとっては、ニッポン放送では『小倉久寛のオグラでオグラだ!』の1986年度(1986年10月〜1987年3月)の火曜日パートナー以来2年6か月ぶりのレギュラー出演。対象リスナー層は『ホームルーム』のタイトル[注釈 2]通り、主に高校生としていた[1]。オープニングテーマとジングルには真璃子自身も好きなオールディーズの曲を使用[1]。エンディングテーマ曲もその時々に合わせて選曲、毎週変えて流していた[2]

番組ではフリートーク、各コーナーの他「月1回真璃子のわがままを通す企画」が行われた(後述)。

1990年4月で本番組が終了した後も、真璃子は引き続き『真璃子のオールナイトニッポン[注釈 3](水曜2部、水曜日深夜=木曜日未明 3:00〜5:00)のパーソナリティを務めている。

主なコーナー・企画

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私の部屋のツーショット
  • 応募して来た中から選ばれたリスナー宅に直接スタジオから電話をつないでトーク[1][2]
真璃子からあなたへ 〜元気を出してね
  • リスナーからのお便り紹介、及び悩み相談のコーナー[1][2]
月1回わがままを通す企画
  • タイトルの通り、月1回真璃子のわがままや希望を実現させる企画。第1回目は「何でもいいならクルーザーに乗りたい」という希望を受けて、スタッフや招待した少人数のリスナーと一緒に横浜港からクルーザー「スターマリンII号」に乗船し、番組収録を兼ねたクルージングイベントを開催。真璃子は船内の様子や海の様子などを案内した他、拡声器を出して参加したリスナーと一緒に、船上からすれ違う他の船や山下公園に向けて「私は真璃子で〜す、番組聴いて下さ〜い」などと叫んで番組の宣伝も行った[3]

脚注

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注釈

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  1. ^ ナイターシーズン中は、日曜日21:00〜21:30枠はショウアップナイターの後座番組『ショウアップナイターフラッシュ』が編成されていた枠。
  2. ^ 最初、『真璃子の気ままなスクールデイズ』という仮タイトルが付いていた[1]
  3. ^ 『真璃子のオールナイトニッポン』は、本番組最終回4日前の1990年4月4日からスタートしている。

出典

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  1. ^ a b c d e ラジオパラダイス 1989年11月号『秋の新番組完璧ガイド』p.5
  2. ^ a b c ラジオパラダイス 1990年1月号『秋の新番組チェック』p.39
  3. ^ ラジオパラダイス 1990年1月号 ラジパラタイムス p.60『LF「真璃子のときめきHOME ROOM」月いち度のやりたい放題第1回 クルーザーから「私は真璃子でーす」』
ニッポン放送 日曜21:00 - 21:30 枠
(1989年10月15日 - 1990年4月8日 ナイターオフ枠)
前番組 番組名 次番組
1989年度
真璃子のときめきホームルーム
1990年度
本木雅弘 BE MY VENUS