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看聞日記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『看聞日記』自筆本

看聞日記』(かんもんにっき)は、伏見宮貞成親王(後崇光院、1372年 - 1456年)の日記。日記41巻と御幸記1巻、別記1巻、目録1巻から構成され、全44巻から成る。一部は散逸しているが、応永23年(1416年)正月1日より文安5年(1448年)4月7日まで33年間に渡る部分が現存する[1]。『看聞日記』は宮内庁書陵部所蔵の貞成親王自筆の原本の題名で、一般には『看聞御記』(かんもんぎょき)とも呼ばれる。

貞成親王は伏見宮3代で、後花園天皇の実父にあたる人物である。将軍足利義教時代の幕政や世相、貞成親王の身辺などについて記されており、政治史だけでなく文化史においても注目される[2]

一部は消失しているが、原本は宮内庁書陵部に所蔵されている[3]

原本の応永32年(1425年)12月30日以前の部分については各日付で記録した日記そのものではなく、それ以降のある時点で貞成親王自身の手で書き写されたものであることが紙背文書の時期や筆致によって確認できる[4]。またその後応永33年・34年・正長元年(1426年 - 1428年)の3か年分を欠く[5]。正長2年(1429年)3月9日以降の部分については清書の形跡は確認できない[6]。なお一部については妻の庭田幸子による代筆という説がある[3]

1930年昭和5年)に続群書類従完成会により宮内庁書陵部所蔵原本が翻刻され、以来室町期の政治・社会・文化を知る史料として活用されている。

刊本

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  • 続群書類従完成会『続羣書類従 補遺 第2』上下2巻。
  • 続群書類従完成会『看聞御記』上下2巻。昭和5年発行。昭和49年訂正三版。
  • 宮内庁書陵部 編『図書寮叢刊 看聞日記』(一)~(七)、別冊。明治書院

原本写真版

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脚注

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  1. ^ 横井 1979, pp. 11–12.
  2. ^ 薗部 2024, p. 3.
  3. ^ a b 薗部 2024, p. 4.
  4. ^ 横井 1979, pp. 239–240.
  5. ^ 横井 1979, p. 238.
  6. ^ 横井 1979, p. 240.

参考文献

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  • 横井, 清『看聞御記 「王者」と「衆庶」のはざまにて』そしえて〈日記・記録による日本歴史叢書〉、1979年12月25日。doi:10.11501/12270309 (要無料登録要登録)
    • 改題『室町時代の一皇族の生涯 「看聞日記」の世界』 講談社学術文庫、2002年。
  • 薗部寿樹『看聞日記とその時代』勉誠社、2024年10月30日。ISBN 978-4-585-32059-3 

関連項目

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