相知町立佐里小学校
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相知町立佐里小学校 | |
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北緯33度20分16.1秒 東経129度58分58.7秒 / 北緯33.337806度 東経129.982972度座標: 北緯33度20分16.1秒 東経129度58分58.7秒 / 北緯33.337806度 東経129.982972度 | |
過去の名称 |
佐里小学校 相知小学校 佐里分校 尋常相知小学校 佐里分校 相知尋常小学校 佐里分校 相知尋常高等小学校 尋常部 佐里分校 相知尋常高等小学校 尋常部 佐里分教場 )佐里尋常小学校 相知尋常高等小学校 尋常部 佐里分教場 佐里尋常小学校 佐里国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 相知町 |
設立年月日 | 1877年(明治10年)12月 |
閉校年月日 | 2003年(平成15年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒849-3233 |
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相知町立佐里小学校(おうちちょうりつ さりしょうがっこう)は、佐賀県東松浦郡相知町佐里にあった小学校。
2003年(平成15年)3月末に閉校し、相知町立相知小学校へ統合された。
概要
[編集]沿革
[編集]- 1877年(明治10年)12月[1] - 「佐里小学校」が創立。
- 1881年(明治14年)4月 - 統合により、「相知小学校 佐里分校」となる。
- 1887年(明治20年)4月 - 前年の小学校令の施行により、「尋常相知小学校 佐里分校」となる。
- 1892年(明治25年)3月 - 「相知尋常小学校 佐里分校」に改称。
- 1893年(明治26年)4月 - 「相知尋常高等小学校 尋常部 佐里分校」に改称。
- 1898年(明治31年)4月 - 「相知尋常高等小学校 尋常部 佐里分教場」として独立。
- 1899年(明治32年)10月14日 - 相知尋常高等小学校より分離の上、「佐里尋常小学校」として独立。
- 1901年(明治34年)4月1日 - 統合により、「相知尋常高等小学校 尋常部 佐里分教場」となる。
- 1914年(大正3年)4月- 男子実業補習学校を併設。
- 1921年(大正10年)12月 - 校舎を改築。
- 1922年(大正11年)4月 - 6年制となる。
- 1927年(昭和2年)12月 - 校舎1棟を新築。
- 1928年(昭和3年)4月 - 併設の青年訓練所充当佐里実業補習学校が佐里公民学校に改称。
- 1929年(昭和4年)
- 4月1日 - 相知尋常高等小学校より分離の上、「佐里尋常小学校」として独立。
- 4月28日 - 開校式を挙行。
- 1931年(昭和6年)- 相知村内の公民学校の統合により、併設の佐里公民学校が廃止される。
- 1935年(昭和10年)
- 9月1日 - 相知村が町制施行で相知町となる。
- 10月 - 校旗を制定。
- 1937年(昭和12年)8月 - 同窓会が発足。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「佐里国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1943年(昭和18年)- 北杉野地区の児童が相知国民学校へ転出。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、国民学校初等科は「相知町立佐里小学校」に改組される。
- 1952年(昭和27年)12月 - 講堂が完成。
- 1959年(昭和34年)2月 - 木造新校舎が完成。
- 1960年(昭和35年)10月 - 完全給食を開始。
- 1965年(昭和40年)4月 - プールが完成。
- 1966年(昭和41年)4月 - 東側校門を拡張。
- 1967年(昭和42年)
- 1月 - 校舎裏石垣が完成。
- 5月 - 制服を決定。
- 1968年(昭和43年)5月 - 剣道クラブが発足。
- 1969年(昭和44年)10月 - 特別教室が完成。
- 1971年(昭和46年)9月 - 給食センターの完成により、センターからの配送方式に変更。
- 2003年(平成15年)3月31日 - 相知町立相知小学校への統合のため、閉校。
- 閉校後の校舎は「唐津市佐里地区公民館」として、体育館は「唐津市佐里体育館」として利用されている。
交通
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停留所
- 昭和バス 「鶴田橋」停留所
- 最寄りの幹線道路
周辺
[編集]- 青幡神社
- 佐里温泉
- アザメの瀬
- 松浦川
参考資料
[編集]- 「相知町史 下巻」(相知町史編さん委員会, 1977年(昭和52年)3月発行)p.378~
脚注
[編集]- ^ 8月とも。