相川勝敏
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相川勝敏 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県 |
生年月日 | 1933年9月3日(91歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 |
中山・鈴木信太郎(1952年 - 1968年) 中山・鈴木清(1968年) 東京・内藤潔(1968年 - 1973年) |
騎手引退日 | 1973年2月25日 |
重賞勝利 | 0勝 |
通算勝利 | 1441戦109勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1973年 |
調教師引退日 | 2004年2月29日 |
重賞勝利 | 3勝 |
G1級勝利 | 2勝 |
通算勝利 | 4080戦310勝 |
経歴 | |
所属 |
1973年 - 1978年 東京競馬場 1978年 - 2004年 美浦T.C. |
相川 勝敏(あいかわ かつとし、1933年9月3日 - )は、日本中央競馬会の騎手、調教師。
経歴
[編集]騎手時代
[編集]1933年9月3日、新潟県に生まれる[1]。その後は千葉県で育ち、1949年から中山競馬場の鈴木信太郎厩舎で騎手候補、1952年に同厩舎で騎手になった[1]。1968年に鈴木清厩舎、同年のうちに内藤潔厩舎に所属を移している[1]。1973年2月25日に中京10R・5歳以上400万下でのローヤルオーシャンの騎乗(5着)を最後に騎手を引退[2]。通算成績1441戦109勝、重賞未勝利[1]。通算賞金1億3276万円[3]。
調教師時代
[編集]騎手引退と同年の1973年に調教師免許を取得し、東京競馬場に厩舎を開業[1]。1974年7月6日の中山2R・4歳以上未勝利のペルセポリスで初出走(2着)[1]。8月17日の新潟8R・4歳以上200万下のキヨナデイアで初勝利[1]。
1978年には所属を東京競馬場から美浦トレーニングセンターに移した[1]。
1987年にエビスジョウジで東京新聞杯(GIII)を制し重賞初勝利[1]。
1993年からは浦和競馬から中央に転入してきたトロットサンダーを管理。1995年11月19日、マイルチャンピオンシップを同馬で勝利し、GI初制覇[1]。1996年6月9日には安田記念を勝利し、GI2勝目を挙げた[1]。
2004年2月29日、調教師を引退した[1]。通算成績4080戦310勝[1]。重賞3勝、うちGI2勝[1]。通算賞金40億7258万円(うち中央40億4416万円、地方2842万円)[4]。
調教師成績
[編集]- 以下の内容は、日本中央競馬会(JRA)[1]およびnetkeiba.com[4]に基づく。
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 1974年7月6日 | 3回中山7日2R | 4歳以上未勝利 | ペルセポリス | 8頭 | 5 | 2着 |
初勝利 | 1974年8月17日 | 3回新潟3日8R | 4歳以上200万下 | キヨナデイア | 10頭 | 3 | 1着 |
重賞初出走 | 1986年2月2日 | 1回東京4日11R | 東京新聞杯 | エビスジョウジ | 10頭 | 4 | 6着 |
重賞初勝利 | 1987年2月8日 | 1回東京4日11R | 東京新聞杯 | エビスジョウジ | 11頭 | 6 | 1着 |
GI初出走 | 1986年12月14日 | 5回中山6日11R | 朝日杯3歳S | ダイカツグリン | 9頭 | 9 | 8着 |
GI初勝利 | 1995年11月19日 | 8回京都6日11R | マイルチャンピオンS | トロットサンダー | 18頭 | 4 | 1着 |
主な管理馬
[編集]- トロットサンダー(1995年マイルチャンピオンシップ、1996年東京新聞杯[注釈 1]、安田記念)
- エビスジョウジ(1987年東京新聞杯)
主な厩舎スタッフ
[編集]- 手塚貴久 - 厩務員(1989年10月 - 1990年2月)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “引退調教師情報 相川 勝敏(アイカワ カツトシ)”. 日本中央競馬会. 2021年10月27日閲覧。
- ^ “相川勝敏の近走成績 - 競馬データベース”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年10月27日閲覧。
- ^ “相川勝敏のプロフィール - 騎手データ”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年10月27日閲覧。
- ^ a b “相川勝敏のプロフィール - 調教師データ”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2021年10月27日閲覧。