目黒吉之助
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目黒 吉之助 めぐろ きちのすけ | |
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生年月日 | 1934年3月29日 |
出生地 | 福島県南会津郡[1] |
没年月日 | 2019年3月14日(84歳没) |
死没地 | 群馬県渋川市[1] |
出身校 | 法政大学大学院政治学研究科 |
前職 | 衆院議員秘書 |
所属政党 |
(日本社会党→) 社会民主党 |
称号 |
旭日小綬章 正六位 |
親族 | 義父・小林寅次(新潟県議会議員)[1] |
選挙区 | 旧新潟3区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1990年 - 1993年 |
目黒 吉之助(めぐろ きちのすけ、1934年3月29日 - 2019年3月14日[2])は、日本の政治家。
来歴
[編集]福島県只見町出身。1961年法政大学大学院政治学研究科修了。日農新潟県連書記長、長岡労農会議議長などを経て、1979年から新潟県議を4期務めた。1990年の総選挙で旧新潟3区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。1995年の参院選に新潟県選挙区、2000年の総選挙に新潟5区からそれぞれ立候補したがいずれも落選している。2005年、旭日小綬章受章[3]。
2019年3月14日、多臓器不全のため、群馬県渋川市内の病院で死去[1]。84歳没。没日付で正六位に叙される[4]。
参考文献
[編集]- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
脚注
[編集]- ^ a b c d “目黒吉之助氏が死去 衆院1期 旧社会党県委員長”. 新潟日報. (2019年3月15日) 2019年3月15日閲覧。
- ^ “目黒吉之助氏が死去 元衆院議員”. 日本経済新聞. (2019年3月15日) 2019年3月15日閲覧。
- ^ 「春の叙勲 本県関係者83人=新潟」『読売新聞』2005年4月29日
- ^ 平成31年4月22日『官報』本紙第7493号6ページ