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監国魯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

監国魯(かんこくろ)は、中国南明政権のうち、紹興で監国を称した魯王朱以海福州で即位した隆武帝に対抗して用いた紀年法。「監国」または「魯監国」にも作る。朱以海は皇帝に即位しなかったため、独自の元号も建てずに称号の「監国」をそのまま使用した。このほか李兆洛『紀元編』等は朱以海の元号として庚寅を挙げているが真偽は定かでない。史書や年表には、監国を称した1645年を元年とするものと、翌1646年を元年とするものとがあり、また末年を朱以海が紹興で敗退した1646年までとするものと、金門に奔って鄭成功のもとに身を寄せた1651年まで数えるものとがあり、一定していない。


西暦等との対照表

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監国魯 元年 2年 3年 4年 5年 6年 7年
西暦 1645年 1646年 1647年 1648年 1649年 1650年 1651年
干支 乙酉 丙戌 丁亥 戊子 己丑 庚寅 辛卯
南明 隆武元年 隆武2年 - - - - -
順治2年 順治3年 順治4年 順治5年 順治6年 順治7年 順治8年

出典

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  • 清史稿』巻480 列伝267 儒林/黄宗羲弟宗炎 宗会 子百家 : 授職方郎,尋改御史,作監国魯元年大統暦頒之浙東。
  • 『清史稿』巻500 列伝287 遺逸1/李長祥王正中 董守諭 : 宗羲歎曰:「伝吾絶学者,仲撝一人耳」遂造監国魯元年丙戌大統暦以進。

参考文献

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  • 李崇智『中国歴代年号考』(北京:中華書局、2001年1月) ISBN 7101025129 210ページ。
    1645年を元年とする史料・研究書に言及しているが、末年を明らかにしていない。
  • 柏楊『中国歴史年表』(海口:海南出版社、2006年11月) ISBN 7544318656
    1646年を元年とし、1651年を「監国6年」としている。