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皇民有志決起事件

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皇民有志蹶起事件(七・五事件)
日付 1940年昭和15年)7月5日
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皇民有志蹶起事件(七・五事件)(こうみんゆうしけっきじけん、しちごじけん)とは、1940年昭和15年)7月5日神兵隊事件関係者のうち前田虎雄、影山正治らを中心に大東塾生らによって計画され、事前に検挙された日本クーデター未遂事件。

概要

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「討奸宣言」「滅賊討奸の書」を準備していたが、その「宣言」によれば「我等は起てり。神命を拝して起てり。滅賊討奸のため起てり。」と冒頭に記し、維新の大詔渙発、皇族内閣の実現、米内内閣の総辞職、獄中の維新関係者の釈放、政党の解散、『朝日新聞』、『改造』など左翼的新聞、雑誌の禁止、天皇機関説信奉者の逮捕、カトリックなどの解散、日満支合邦実現などを要求していた[1]。関係者は30人[1]。手榴弾2個、拳銃14挺、日本刀20本などを準備していた[1]

大東塾の長谷川幸男を一番隊隊長に全員を五隊に分け、米内光政首相、湯浅倉平前内府、岡田啓介元首相、池田成彬元蔵相、町田忠治民政党総裁、原田熊雄男爵、麻生久菊池寛の各私邸を襲撃および殺害のうえ放火を計画していた[2]

判決

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1942年昭和17年)3月30日東京地方裁判所で殺人予備、放火予備、爆発物取締罰則違反などで関係者30人に次の判決があった。前田虎雄、影山正治各禁固5年、長谷川幸男、高嶋仁、窪田早視、茂呂宣八、登石清、玉井光一ら六人各禁固3年、滝沢利量、村岡清蔵懲役2年、江坂勇之助、懲役1年、佐竹義幸ら11人各懲役1年、執行猶予2年、林晋平、懲役1年、執行猶予3年、林佐夫朗は応召で免除。

題材にした作品

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小説

脚注

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  1. ^ a b c 『大東塾三十年史』p.818[要文献特定詳細情報]
  2. ^ 「七・五事件 事件の概要」『影山正治全集 第6巻』[要ページ番号]

参考文献

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関連項目

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