百済王貞連
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時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 貞運 |
官位 | 従五位下・上総介、武蔵守 |
氏族 | 百済王氏 |
百済王 貞連(くだらのこにきし さだつら / ていれん)は、平安時代中期の貴族。平将門の乱の遠因をつくったことで知られる。
経歴
[編集]承平9年(939年)5月には武蔵守として武蔵国に下向した(なお、類聚符宣抄第八には「前上総介・従五位下」と記されているため、923年から939年の間に上総介を拝任し、従五位下に叙されたことがわかる)。しかし、貞連は武蔵権守・興世王と不仲で[注 1]、貞連は興世王を国庁の会議に全く列席させなかったため、興世王は任地を離れて下総国の平将門のもとに身を寄せた。これが平将門の乱の遠因となった[1]。
補注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 上野利三『「百済王三松氏系図」の史料価値について : 律令時代の帰化人の基礎的研究』慶應義塾大学法学部、1983年、385-407頁 。