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百済王元忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
百済王元忠
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 宝亀4年閏11月23日774年1月9日
官位 従四位下大蔵少輔
主君 聖武天皇孝謙天皇淳仁天皇称徳天皇光仁天皇
氏族 百済王氏
元風
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百済王 元忠(くだらのこにきし がんちゅう)は、奈良時代貴族官位従四位下大蔵少輔

経歴

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聖武朝末の天平20年(748年従五位下叙爵する。孝謙朝では治部少輔を務める一方、天平勝宝3年(751年)従五位上、天平勝宝9歳(757年正五位下と昇進。淳仁朝では大蔵少輔を務め、天平宝字8年(764年従四位下に至る。

光仁朝宝亀4年(773年)閏11月23日卒去。最終官位散位従四位下。

官歴

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続日本紀』による。

系譜

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  • 父:不詳
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:百済王元風[3]

脚注

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  1. ^ 『大日本古文書(編年文書)』3巻374頁
  2. ^ 『大日本古文書(編年文書)』15巻131頁
  3. ^ 『日本文徳天皇実録』斉衡2年7月戊寅条

参考文献

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