白馬非馬
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白馬非馬(はくばひば)は、古代中国の学説。「白馬非馬説」「白馬非馬論[1]」「白馬は馬にあらず[2]」「白い馬は馬ではない[2]」とも呼ばれる。論理学または詭弁の説。兒説や公孫竜らによって唱えられた。解釈は諸説ある。
首唱者
[編集]兒説
[編集]『韓非子』外儲説左上篇によれば、兒説が白馬に乗って関所を通る時、馬には通行税がかけられていたため、役人は税を取ろうとした。しかし、兒説は白馬非馬説を唱えて税を免除されようとしたが、結局役人の方が引かず、税を取られてしまった。
公孫竜
[編集]公孫竜は名家に属し、兒説より時代はやや遅れる。『公孫竜子』や『列子』仲尼篇には説の詳細が書かれている。
公孫竜は平原君の食客として活躍した。しかし陰陽家の鄒衍が「そんな説など在っても役に立たない」と否定し、平原君も次第に公孫竜を遠ざけてしまった。その後の行方は知れない[3]。
論理学者による解釈
[編集]20世紀中期の論理学者前原昭二は、〈白馬〉という概念を F、〈馬〉という概念を G で表すと、〈白馬は馬にあらず〉という言葉は以下の (1)~(4) の 4 通りに解釈できると説明した[4]。
# | 論理式 | 日本語による解釈 | 説明 |
---|---|---|---|
(1) | ∀x(F(x) → ¬G(x)) | Fは必ずGではない | Fは必ず「Gではない」 |
(2) | ¬∀x(F(x) → G(x)) | Fは必ずしもGではない | 「Fは必ずG」ではない |
(3) | ∀x(F(x) ⇄ ¬G(x)) | FとはGでないということである | Fとは「Gでない」ということである |
(4) | ¬∀x(F(x) ⇄ G(x)) | FとGとは異なる概念である | FとGとは同一概念ではない |
そして、〈白馬は馬にあらず〉という言葉の解釈を上記の (1)~(4) の 4 通りに限った場合には、正しい命題として理解するには (4) による解釈しかないと解説した[4]。
古典学者による解釈
[編集]中国古典の専門家の間では、白馬非馬説の解釈について、定説が無い[5]。したがって未解決問題である[6]。日本の学界では、基本的に以下の3パターンの解釈がある[7]。
- 「白馬」は下位概念(種・個物)、「馬」は上位概念(類・普遍)である。
下位概念と上位概念は異なる。それゆえ白馬は馬ではない。(桑木厳翼らの解釈)[7] - 「白馬」は複合概念、「馬」は単一概念である。
複合概念と単一概念は異なる。それゆえ白馬は馬ではない。(浅野裕一らの解釈)[7] - 「白(馬)」は色の概念、「馬」は形の概念である。
色の概念と形の概念は異なる。それゆえ白馬は馬ではない。(加地伸行らの解釈)[7]
受容
[編集]『世説新語』文学篇によれば、晋代の謝安は「白馬論」の真意を知りたくて阮裕に質問してみたが、納得できる答えを得られなかった。
脚注
[編集]- ^ 世界大百科事典『白馬非馬論』 - コトバンク
- ^ a b デジタル大辞泉『白馬は馬に非ず』 - コトバンク
- ^ 浅野 2004, p. 200.
- ^ a b 前原 1967, pp. 18–19.
- ^ チャン 2010, p. 132.
- ^ Hansen, Chad (2007), “Prolegomena to Future Solutions to "White‐Horse Not Horse"”, Journal of Chinese Philosophy (Wiley) (34-4): 473-491, doi:10.1111/j.1540-6253.2007.00435.x
- ^ a b c d 鄭 2010, p. 183f.
参考文献
[編集]- 浅野裕一『諸子百家』講談社〈講談社学術文庫〉、2004年(原著2000年講談社)。ISBN 978-4061596849。
- 鄭宰相「日本中国古代論理思想研究評述」(中国語)『荀子思想の研究』 京都大学、2010年、175-187頁。 NAID 500000526813 。
- アンヌ・チャン 著、志野好伸;中島隆博;廣瀬玲子 訳『中国思想史』知泉書館、2010年。ISBN 978-4862850850。
- 陳舜臣『中国の歴史 2 大統一時代 漢王朝の光と影』平凡社、1986年4月。ISBN 978-4-582-48722-0。
- 前原昭二『記号論理入門』日本評論社〈日評数学選書〉、1967年10月。ISBN 978-4-535-60104-8。
- 前原昭二『記号論理入門』(新装版)日本評論社〈日評数学選書〉、2005年12月。ISBN 978-4-535-60144-4。