白頭山福童
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白頭山 福童(はくとうざん ふくどう、1903年 - 没年不詳)は、朝鮮忠清北道(現在の大韓民国忠清北道)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は朴 漢卦[1]。最高位は三段目。身長217cm・体重140kg[2]。昭和以降の力士では最も背が高い。
人物
[編集]初土俵は1927年10月場所。この時既に身長208cm、体重132kgあり、「出羽ヶ嶽を見下ろす巨人」という触れ込みで入門した[2]。しかし、幼少時に病気をしたのが原因で背骨が曲がっていたといわれ、出世の見込みはないと判断されたが、後援会の紹介の手前断れずに入門させたとされる[2]。実際思うように活躍できず、三段目まで上がった1930年5月場所限りで廃業した[2]。期待されていた出羽ヶ嶽との取組は実現しなかった。
廃業後は劇団の旗持ちやチラシ配りを経て[3]、ダンスホールの用心棒となったが、森永製菓の社員に見込まれて[4]、1934年から1936年まで水兵服などを着て「キャラメル大将」の名で日本各地や当時の日本の外地の樺太、朝鮮、台湾、満州まで足を運び、チラシを配って歩いた[5][6]。その後は遊園地の迷子係になったりした[5]。以後は不明だったが、1960年代には既に故人になっていた[1]。
東京都江東区の富岡八幡宮境内にある「巨人力士身長碑」に名前と身長(「七尺一寸五分」)が刻まれている[7]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 三宅充『大相撲なんでも七傑事典』、講談社、1995年
- 「森永製菓の児童文化関連事業(二)」―キャラメル大将(昭和八年~昭和十一年)の事例を手掛かりとして― 愛知淑徳大学大学院―文化創造研究科紀要第4号―2017年3月