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白旗城 (下野国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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白旗城
栃木県
城郭構造 山城
築城主 大関増清
築城年 応永年間(1394年~1428年)
主な改修者 大関増次
主な城主 大関氏
廃城年 天正4年(1576年)以降
遺構 曲輪、土塁、空堀
指定文化財 大田原市指定史跡
再建造物 なし
位置 北緯36度52分16.3秒 東経140度05分48.5秒 / 北緯36.871194度 東経140.096806度 / 36.871194; 140.096806座標: 北緯36度52分16.3秒 東経140度05分48.5秒 / 北緯36.871194度 東経140.096806度 / 36.871194; 140.096806
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白旗城(しらはたじょう)は、栃木県大田原市にあった日本の城。市の史跡に指定されている[1]

概要

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那珂川の支流、湯坂川沿いの南北に連なる白旗丘陵の南部に築かれた山城。本城(本丸)や北城(二の丸)などの6つの曲輪土塁空堀によって区画されている。麓には東山道が通過しており、交通の要衝であった。

白旗の地名は、源頼義が奥州の安倍頼時討伐の際、この地に白旗を翻して戦揃えをしたことに由来すると云われている。

歴史

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応永年間(1394年~1428年)に大関増清によって築かれた。その後、大関増雄の時に八幡館、大関宗増の時に大関城へと居城が移されたが、宗増の子大関増次は白旗城を改修し再び大関氏の居城とした。その後、天正4年(1576年)に大関高増黒羽城を築城し、そちらへ居を移した。

脚注

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出典

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  • 『黒羽町誌』
  • 『栃木県の中世城館跡』