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町田甲一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
町田 甲一
人物情報
生誕 (1916-12-09) 1916年12月9日
日本の旗 日本東京都
死没 1993年10月5日(1993-10-05)(76歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 美学(東洋美術、日本古代彫刻)
研究機関 東京教育大学名古屋大学武蔵野美術大学
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町田 甲一(まちだ こういち、1916年12月9日 - 1993年10月5日)は、日本美術史家名古屋大学教授等を経て、武蔵野美術大学名誉教授

経歴

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出生から修学期

1916年、東京府東京市麹町区で日本画家・町田曲江の子として生まれた。東京府立第三中学校で学ぶが、病気のため2年遅れて1936年に卒業。同年、姫路高校に進学。卒業直前の1940年3月に治安維持法違反の疑いで神戸詩人事件に連座して検挙され、18ケ月にわたって拘禁された[1]。1942年、東京帝国大学文学部に入学して美学を専攻した。大学では、児島喜久雄の下で学んだ。1944年に卒業し、その後は同大学大学院に進学。

美術史研究者として

1946年からは大学院在籍のまま、長尾美術館へ勤務[2]。しかし、病気悪化のため1949年に退職し、胸部成形手術を受けた。

療養生活の後、1953年に東京教育大学講師に就いた。翌1954年に助教授、1968年に教授昇格。1988年から『奈良六大寺大観』(岩波書店)の刊行が計画されると、編集委員代表として刊行を推進した。建築・美術の写真・解説・文献を可能な限り網羅した本書は、奈良美術史・建築史研究の基本資料となった。1974年、名古屋大学教授となった。1977年に名古屋大学を定年退官し、その後は武蔵野美術大学教授として教鞭をとった。1987年に退任し、名誉教授となった。

受賞・栄典

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研究内容・業績

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専門は東洋美術で、特に日本古代彫刻史、仏像に関連する彫刻の研究を進めた。『奈良六大寺大観』(全14巻)を進めた功績は大きく、その後の研究の基礎資料となると同時に、編集にあたっては若手を中心とする多くの研究者が集められたという点でも画期的であった。『仏像の美しさに憑かれて』(1986年)など随筆も残した。

家族・親族

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著作

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著書
  • 天平彫刻の典型』座右宝刊行会 1948
  • 薬師寺中央公論美術出版 1963
    • 改訂版 ルックナゥ 1986
  • 法華寺』中央公論美術出版 1964
    • 新版・美術文化シリーズ 1987
  • 『概説日本美術史』吉川弘文館 1965
    • 新版 1980
  • 法隆寺角川新書 1967
  • 『奈良古美術断章』有信堂 1973
    • 増補版 1978年
  • 『日本古代彫刻史概説』中央公論美術出版 1974
  • 『仏像 その意味と歴史と美しさについて』実業之日本社(有楽選書) 1976
    • 単行新版 1982
  • 『大和古寺巡歴』有信堂高文社 1976
  • 『上代彫刻史の研究』吉川弘文館 1977
  • 『古寺辿歴 古美術襍想』保育社 1982
  • 『仏像 イコノグラフィ』岩波書店(岩波グラフィックス) 1983
  • 『仏像の美しさに憑かれて』保育社 1986[4]
  • 『南無佛陀:佛教美術の図象学』保育社 1987
  • 『概説東洋美術史』国際書院 1989
  • 『仏の道 仏像の歩みの歴史と広がり』同朋舎出版 1990
  • 『鷺城下にかげる 危機の一九三〇年代:大戦前夜の青春』神保出版会 1994[5]
  • 『仏教美術に想う』里文出版 1994[6]
共編著
記念論集
  • 『論叢仏教美術史』町田甲一先生古稀記念会 吉川弘文館 1986

参考文献

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  • 町田甲一『日本美術年鑑』[7]
  • 日本人名大辞典

脚注

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  1. ^ 太平洋戦争前夜の高校生活は小説『鷲城下にかげる』に書いている。
  2. ^ 1946年5月23日、戦後税制に対応するため設立された。
  3. ^ 「92年秋の叙勲=勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、外国人受章者」『読売新聞』1992年11月3日朝刊
  4. ^ 私家版も刊行した
  5. ^ 本書は回想記。
  6. ^ 本書は随想集。
  7. ^ 東文研アーカイブス