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町尻具英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
町尻 具英
時代 江戸時代
生誕 1623年11月20日元和9年9月28日[1]
死没 1671年寛文11年)4月
墓所 妙心寺
官位 従四位上
主君 明正天皇後光明天皇後西天皇霊元天皇
氏族 町尻家
父母 父:水無瀬兼俊、母:福島正則の娘
兄弟 水無瀬兼祐、水無瀬氏信、町尻具英、桜井兼里、水無瀬通悊、水無瀬長成、右衛門佐局
長男:水無瀬兼豊、養子:兼量
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町尻 具英(まちじり ともひで)は、江戸時代公家公卿羽林家町尻家当主。祖父は福島正則

生涯

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1623年元和9年)、権中納言である水無瀬兼俊とその正室で福島正則の娘の次男として生まれる[2]町尻家の開祖となり、大蔵大輔、従四位上となった[3]

1671年寛文11年)4月、死去。享年49。墓所は京都府京都市妙心寺[4]

系譜

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脚注

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  1. ^ a b 『諸家伝』
  2. ^ 『新撰大人名辭典』(平凡社1937年
  3. ^ 『王朝貴族の婚姻と家族』(システムファイブ、2006年
  4. ^ 『町尻家譜』