甲波宿禰神社 (渋川市行幸田)
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甲波宿禰神社 | |
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所在地 | 渋川市行幸田673 |
位置 | 北緯36度28分41.0秒 東経138度59分42.8秒 / 北緯36.478056度 東経138.995222度座標: 北緯36度28分41.0秒 東経138度59分42.8秒 / 北緯36.478056度 東経138.995222度 |
主祭神 |
速秋津彦命 速秋津姫命 |
社格等 | 村社 |
創建 | 文安年間(1444年~1449年) |
例祭 | 9月19日 |
地図 |
甲波宿禰神社(かわすくねじんじゃ)は、群馬県渋川市行幸田の吾妻川沿いにある神社。祭神は速秋津彦命、速秋津姫命の2柱。旧社格は村社。
由緒[編集]
文安年間(1444年~1449年)に川島の甲波宿禰神社より勧請したことが始まりとされている。 [1] 天明6年(1786年)に出版された紀行本『山吹日記』(奈佐勝皐)には、
湯の上左の方いと蔭高く古にし森あるは甲波宿禰の社と聞ゆ云々式外のふるき社にやおはすらん
という記述がある。湯の上とは、明治22年4月1日に「豊秋村」へ合併前の村名「湯ノ上村」、甲波宿禰の社とは「甲波宿禰神社」、式外のふるき社とは式外社のことで、平安時代には存在していたと伝わっている。 [2]
社格
祭神[編集]
主祭神
境内社[編集]
甲波宿禰神社の社殿左側奥に鎮座する境内社
- 石尊大権現(せきそんだいごんげん)
石尊大権現の石碑の奥に鎮座する境内社。明治42年2月16日に合祀した。[4]なお、東諏訪神社、西諏訪神社に奉納されていた行幸田の獅子舞は、現在は甲波宿禰神社に奉納されている。[5]
- 東諏訪神社、西諏訪神社
- 稲荷神社(束田窪、前田窪、後田窪、二本木)
- 八坂神社、北野神社、白皿神社、大名持神社
甲波宿禰神社の社殿の周辺を囲むように鎮座する石祠群
- 天満宮、稲荷社、日枝社、淡島大明神
甲波宿禰神社の社殿の周辺を囲むように鎮座する石碑群
- 天満神
- 少毘古那神、大名牟遅神
- 御嶽神社、阿蘇神社、古御嶽神社
- 八坂大神
行事[編集]
- 例大祭(4月17日に近い日曜日)[2]
- 奉納されている行幸田の獅子舞が昭和50年1月30日に、渋川市の重要無形文化財に指定された。[5]
- 例大祭(9月19日)[2]
交通[編集]
- JR上越線渋川駅から日本中央交通の渋川タウン線「渋川温泉行き」に乗車。バス停「行幸田」下車。
- JR上越線渋川駅から関越交通の高崎線「高崎駅西口行き」に乗車。バス停「行幸田」下車。
- JR上越線高崎駅西口から関越交通の高崎線「渋川行き」に乗車。バス停「行幸田」下車。
脚注[編集]
- ^ 『渋川市誌 第二巻 原始~近世 通史編・上』
- 第一章 原始・古代 / 第七節 文化と信仰
- [出版社] 渋川市
- [編集] 渋川市市誌編さん委員会
- [発行日] 平成5年(1993年)3月
- ^ a b c d e f 『群馬県群馬郡誌』第五章 社寺教育 / 第一節 神社 / 第四項 村社 / 八〇、甲波宿禰神社(豊秋村)
- [編集] 群馬県群馬郡教育会
- [出版社] 群馬県群馬郡教育会
- [発行日] 大正14年
- ^ 『渋川市誌 通史編 別冊 渋川市の歴史年表』
- [編集] 渋川市市誌編さん委員会
- [出版社] 渋川市
- [発行日] 平成5年3月
- ^ 石碑の裏側に刻印
- ^ a b 社頭掲示板『行幸田の獅子舞』(設置者:渋川市教育委員会)