田麗玉
チョン・ヨオク 전 여옥(田 麗玉) | |
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生年月日 | 1959年4月19日(65歳)[1] |
出生地 | ソウル特別市 |
前職 |
韓国放送公社(KBS)記者 国会議員 |
所属政党 |
(ハンナラ党→) (セヌリ党→) 国民の考え |
公式サイト | oktalktalk.com |
選挙区 | 永登浦区甲 |
当選回数 | 2回 |
田麗玉 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 전여옥 |
漢字: | 田麗玉 |
発音: | チョン・ヨオク |
ローマ字: | Jeon Yeook |
田 麗玉(チョン・ヨオク、전여옥、1959年4月19日 - )は、大韓民国の政治家、元国会議員。元ハンナラ党スポークスパーソン。KBS東京特派員時代に書いた『悲しい日本人』で日本でも知られる。ソウル出身[1]。
放送記者時代
[編集]1982年2月、梨花女子大学校社会学科卒業。1981年11月から1994年まで韓国放送公社(KBS)報道本部記者として勤務し、1991年1月から1993年8月まで東京特派員。特派員時代の経験を書いた毒舌的日本女性論『日本はない』(1993年出版)がベストセラーとなり、日本でも『悲しい日本人』(金学文・訳、1994年出版)と題してたま出版から翻訳出版された。以後、『日本はない2』や『女性よ、テロリストになれ』、『札幌でビールを飲む』などを執筆、毒舌評論で知られる。この間、西江大学校公共政策大学院国際関係政治学科を卒業し、梨花女子大政治学科大学院博士課程に入ったが休学中。
政界入り以降
[編集]2004年3月ハンナラ党に入党し、同年4月の総選挙で国会議員に当選、同党広報責任者に就任した。与党ウリ党批判に得意の毒舌を振るう。2男1女の母親でもある。
李明博大統領就任後に行われた2008年4月の第18代総選挙で再選された。第18代国会では、国土海洋委員会委員や出産高齢化対策特別委員会幹事、ハンナラ党の戦略企画本部長などを務めた。2012年3月、4月に予定されている第19代総選挙におけるセヌリ党(ハンナラ党が2012年2月に党名改称して発足)の公薦から脱落したことをきっかけに同党を離党して、保守系中道新党「国民の考え」に入党した[2]。総選挙では比例名簿1位で立候補したが、セヌリ党と民主統合党の狭間で埋没した結果、0.7%の支持に留まり議席を獲得できず落選した[3]。その後、2016年時点では政界に戻る意思はないと明言した[4]。
なお、田は朴槿恵がハンナラ党代表であった時期に彼女を補佐し、報道担当者を務めたが、大統領候補選挙の途中に李明博の方に鞍替えした[4][5]。補佐官を務めた時期から朴槿恵と崔太敏・崔順実の関係を知っていたため、朴槿恵は大統領を務める資質がなく、大統領になったら大変なことになると述べた[4][6]。ただし、朴のプライバシーに配慮して長い間にメディアでこのことを言わず[4]、崔順実ゲート事件の発覚以降にようやく朴槿恵の過去について話した[6]。また、国民の力元代表の李俊錫とも仲が悪い。2011年当時、田は李と一緒に放送に出演したが、入党ばかりの李はそこで「朴槿恵キッズ」として田を「背信者」と呼んだため、田も李を「朴衛兵」と呼んで応酬した。さらにその後に李は何事もないように田に挨拶し、田を驚かせた[7]。
2023年5月末には大腸癌4期の闘病中であると公表した[8]。
盗作問題
[編集]2004年、オーマイニュースが『日本はない』に、他人のアイデアや資料が盗用されたとの報道を行ったことに対し、民事訴訟でオーマイニュースに対する民事訴訟を起こしたが、2007年7月、裁判所は「報道内容は事実である」との判決を下し、田は敗訴した。その判決を不当であると主張した者が、「裁判所に爆弾を仕掛けた」と嘘の電話をマスコミにした。2010年1月15日、控訴審でも田は敗訴した。2012年5月18日、大法院3部は、原告敗訴の判決を下した原審を確定した[9]。
略歴
[編集]学歴
[編集]- 1982年:梨花女子大学校社会学科卒業
- 1997年:西江大学校公共政策大学院政治学修士
経歴
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 1981年~1994年:韓国放送公社記者
- 1991年~1994年:東京特派員
- 1994年~1996年:MYTV制作部主幹
- 1996年~1999年:プロダクション代表
- 2004年3月~2005年11月:ハンナラ党代弁人(スポークスマン)
- 2004年5月~2008年4月:第17代ハンナラ党国会議員(比例代表)
- 2006年:国会科学技術情報通信委員会、女性委員会の委員
- 2006年7月~2007年4月:ハンナラ党最高委員
- 2007年:李明博大統領候補選挙対策委員会副委員長
- 2008年5月~:第18代ハンナラ党国会議員(ソウル特別市永登浦区甲)
- 2012年3月9日:セヌリ党を離党、「国民の考え」入党
- 2012年4月11日:第19代総選挙で落選。
- 出典:田麗玉ホームページの“田麗玉プロフィール”と東亜日報編『東亜年鑑 2008』の「現役人名録」を参照して作成
脚注
[編集]- ^ a b “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2023年8月15日閲覧。
- ^ “전여옥 "공천 보수학살"..국민생각 입당(田麗玉“公薦 保守虐殺”。。国民の考え入党)”. 聯合ニュース(本国版). (2012年3月9日) 2012年3月9日閲覧。
- ^ “이철우 83.5%로 최고득표율… 이낙연 가장 먼저 당선 확정(李喆雨83.5%で最高得票率・・・李洛淵まず最初に当選確定)”. 東亜日報(本国版). (2012年4月12日) 2012年5月19日閲覧。
- ^ a b c d “전여옥 “박근혜 최태민 관계, 치맛자락 들춰보고 싶지 않았다”” (朝鮮語). 서울신문 (2016年12月8日). 2023年10月6日閲覧。
- ^ “[オピニオン]4年間の沈黙を破った田麗玉氏”. 동아일보 (2016年10月31日). 2023年10月6日閲覧。
- ^ a b “[Why] 스위스 계좌설에 태연했던 朴대표… 10분 뒤 펄펄 뛰며 "野 고소하겠다"” (朝鮮語). 조선일보 (2016年10月29日). 2023年10月6日閲覧。
- ^ “이준석 "양두구육" 응수에…전여옥 "왕소름" 11년전 일화 떠올렸다” (朝鮮語). 중앙일보 (2022年7月28日). 2023年10月6日閲覧。
- ^ 현예슬 (2023年5月29日). “전여옥 '대장암 4기' 투병 고백…"암 걸렸다니 좌파들 좋아해"” (朝鮮語). 중앙일보. 2023年10月6日閲覧。
- ^ “田麗玉議員、「日本はない」盗作損害賠償訴訟で敗訴=韓国”. 中央日報. (2012年5月19日) 2012年5月19日閲覧。
外部リンク
[編集]- 田麗玉個人サイト 更新停止