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田辺希文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
田辺希文
時代 江戸時代中期
生誕 元禄5年6月16日1692年7月29日
死没 安永元年12月12日1773年1月4日
別名 号:晋斎、翠渓
墓所 宮城県仙台市大年寺
主君 伊達吉村
仙台藩
氏族 上毛野氏流田辺氏
父母 父:田辺希賢
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田辺 希文(たなべ まれふみ)は、江戸時代中期の仙台藩士。仙台藩の儒学者かつ歴史家、神道家。は晋斎、翠渓。仙台藩士家上毛野氏族田辺氏2代当主。家格召出二番座

略歴

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元禄5年(1692年)、京都から仙台に移った田辺希賢の子として仙台にて誕生。京都において山崎闇斎門人の浅井琳庵(重遠)に儒学を学ぶ。また神道を金須直定や高志真直、柏村左兵衛に、持明院流書流を持明院基時、基輔親子より学ぶ。この他、馬術、鳴弦術、弓術、兵法、砲術なども学ぶ。

享保9年(1724年)、家督を相続。5代藩主・伊達吉村の嗣子・宗村の師傅となって70貫目を賜る。

著作に「摭言録」、「翠渓文書」がある。また、「伊達世臣伝記」、「伊達世臣譜略記」、「封内風土記」の編纂にかかわる。墓所は大年寺

参考文献

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  • 家臣人名事典編集会「三百藩家臣人名事典1」(新人物往来社、1987年)
  • 「角川日本姓氏歴史人物大辞典4 宮城県姓氏家系大辞典」(1994年)