田川賢吾
日立製作所野球部 #18 | |
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![]() 東京ヤクルトスワローズ時代 (2020年2月17日) | |
基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 大阪府茨木市 |
生年月日 | 1994年5月22日(30歳) |
身長 体重 |
189 cm 79 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2012年 ドラフト3位 |
初出場 | 2018年4月3日 |
最終出場 | 2020年9月25日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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田川 賢吾(たがわ けんご、1994年5月22日 - )は、京都府舞鶴市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]小学3年生の時から野球を始めると、中学生時代には赤星憲広が設立したレッドスターベースボールクラブに所属していた[1]。
高知中央高等学校への入学当初は、外野手としてプレー。2年時の春から投手としての練習を始めると、秋から本格的に転向した[2][3]。3年春の高知県総体では、高知商業高校との試合で本塁から中堅までの距離が121mである高知市野球場のバックスクリーンにソロ本塁打を放った。3年夏の選手権高知大会では、岡豊高校との3回戦で自己最速の148km/hを記録。無四球1失点という内容で完投勝利を収めた[2]。しかし、続く高知高校との準々決勝では、延長10回まで戦った末に1-2で敗退し、在学中には春夏とも、甲子園球場での全国大会への出場はなかった。
2012年度プロ野球ドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズから3巡目指名を受け[4]、契約金5000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団。入団当初の背番号は35。
ヤクルト時代
[編集]2013年には、イースタン・リーグ公式戦3試合に登板。0勝1敗、防御率9.00を記録した。
2014年には、4月10日に腰椎椎間板ヘルニアの摘出手術を受けたため、一・二軍とも公式戦への登板機会がなかった。
2015年には、イースタン・リーグ公式戦3試合に登板。0勝1敗、防御率8.44を記録した。
2016年には、イースタン・リーグ公式戦19試合に登板。2勝3敗、防御率7.28という成績を残した。入団以来一軍公式戦での登板機会がないまま10月1日に球団から支配下選手契約の解除を通告[5]されたが、通告後も球団に籍を置いたままフェニックスリーグへ参加。11月22日には育成選手として契約を結ぶとともに、背番号を117へ変更することが球団から発表された[6]。
2017年には、イースタン・リーグ公式戦で過去最多の28試合に登板。5勝6敗、防御率4.43という成績を残したが、支配下登録選手への復帰や一軍公式戦へのデビューには至らなかった。育成選手に関するNPBの規定で、10月31日にいったん自由契約選手として公示[7]。公示後に、育成選手として再び契約を結んだ。
2018年には、オープン戦の途中から一軍へ昇格すると、救援投手として登板を重ねた。3月20日には、支配下登録選手へ復帰するとともに、背番号を62へ変更[8]。さらに、プロ入り後初めての一軍公式戦出場選手登録を、開幕一軍入りで果たした[9]。4月3日の対広島東洋カープ戦でプロ初登板も果たしたが、結果としてこの年は1試合の出場に留まった。
2019年は、イースタン・リーグ公式戦16試合に登板。4勝5敗、防御率3.70という成績を残した。2試合連続完投勝利(内1試合は完封)を挙げるなど成長を見せた。9月15日にマツダスタジアムでの広島戦で先発登板し、5回と2/3を1失点に抑えプロ入り初勝利を挙げた[10]。
2020年は、イースタン・リーグ20試合に登板し、防御率1.95の好成績を残したが、一軍での登板はなく、11月2日に戦力外通告が公示された[11][12]。
ヤクルト退団後
[編集]2021年からは、社会人野球の日立製作所でプレーを続ける[13]。
選手としての特徴・人物
[編集]長身から投げ下ろす最速148km/hのストレートが武器。キレの良いスライダーを中心に、カーブ・フォークと多彩な変化球を投げられる[2]。
ヤクルト入団後の2016年春季キャンプ前には、小川泰弘と共に上原浩治の自主トレーニングに参加し、上原から「素材は素晴らしい」との賛辞を受けた[14]。
また、プロ入り初勝利を挙げた際は、上原から祝福を受けている[15]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2018 | ヤクルト | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 4 | 1.0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 |
2019 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 73 | 15.1 | 23 | 2 | 6 | 0 | 0 | 12 | 0 | 0 | 16 | 13 | 7.63 | 1.89 | |
通算:2年 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 77 | 16.1 | 23 | 2 | 7 | 0 | 0 | 13 | 0 | 0 | 16 | 13 | 7.16 | 1.84 |
- 2020年度シーズン終了時
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2018 | ヤクルト | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2019 | 4 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 5 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1.000 |
- 2020年度シーズン終了時
記録
[編集]- 初記録
- 初登板:2018年4月3日、対広島東洋カープ1回戦(明治神宮野球場)、8回表に4番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:同上、石原慶幸から空振り三振
- 初先発登板:2019年8月24日、対阪神タイガース19回戦(明治神宮野球場)、3回1/3 6失点で敗戦投手
- 初勝利・初先発勝利:2019年9月15日、対広島東洋カープ24回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、5回2/3 1失点
- 打撃記録
- 初打席:2019年8月24日、対阪神タイガース19回戦(明治神宮野球場)、3回裏に西勇輝から二ゴロ
背番号
[編集]- 35(2013年 - 2016年)
- 117(2017年 - 2018年3月19日)
- 62(2018年3月20日 - 2020年)
登場曲
[編集]- 「Can't Get Enough」Leeroy Feat Nagla(2015年 - 2017年)
- 「pride」GReeeeN(2018年)
- 「Slow Down」Lights Follow(2019年 - )
脚注
[編集]- ^ “田川「レッド魂」だ! 投打ハイレベル「投手で活躍したい」”. スポニチ Sponichi Annex (2012年10月26日). 2013年3月5日閲覧。
- ^ a b c “神宮つばメ~ル:第19回 ドラフト3位・田川賢吾、驚異の18歳”. SPORTS COMMUNICATIONS (2013年1月7日). 2013年3月5日閲覧。
- ^ “小さな司令塔 熱投導く/高知中央・森本君”. asahi.com (2012年7月22日). 2013年3月5日閲覧。
- ^ “プロ野球ドラフト会議!”. 東京ヤクルトスワローズ (2012年10月25日). 2013年2月1日閲覧。
- ^ “戦力外通告について”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2016年10月1日). 2016年10月1日閲覧。
- ^ “ヤクルト、戦力外通告の田川と育成契約 背番号は117”. サンケイスポーツ (2016年11月22日). 2017年2月23日閲覧。
- ^ “自由契約選手(育成選手)|2017年度公示”. 日本野球機構 (2017年10月31日). 2017年11月1日閲覧。
- ^ ヤクルト・田川、2年ぶり支配下復帰 オープン戦7試合登板. サンケイスポーツ (2018年3月21日). 2019年1月7日閲覧。
- ^ “ヤクルト田川 プロ6年目で初開幕一軍「ここからが本当の勝負」”. スポーツニッポン (2018年3月27日). 2018年3月30日閲覧。
- ^ “ヤクルト・田川、7年目ついにつかんだプロ初勝利!「忘れられない一日に」”. サンケイスポーツ (2019年9月16日). 2020年1月19日閲覧。
- ^ "来季の契約について". 公式サイト. 東京ヤクルトスワローズ. 2 November 2020. 2020年11月2日閲覧。
- ^ “ヤクルト田川賢吾に戦力外通告、12年3位昨季1勝”. 日刊スポーツ (2020年11月2日). 2021年4月6日閲覧。
- ^ “元ヤクルト・田川、社会人野球の日立製作所入り 近日中に正式契約”. サンスポ.com (2021年1月9日). 2021年4月6日閲覧。
- ^ “5位転落のヤクルトに世代交代の波 松坂世代の剛腕&柱のベテランが戦力外(4)上原称賛の右腕も戦力外に”. Full-Count (2016年11月9日). 2017年2月23日閲覧。
- ^ “【ヤクルト】7年目右腕の田川がプロ初勝利 師匠の上原氏も「泣きそう」”. スポーツ報知 (2019年9月16日). 2020年1月19日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 田川賢吾 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube