田山雅充
田山 雅充(たやま まさみつ[1]、1948年12月2日[2][1][3] - )は、日本のフォークシンガー・シンガーソングライター・作曲家。
プロフィール
[編集]生い立ち
[編集]東京都[1]目黒区出身。幼少時代、テレビドラマ(乙羽信子主演『ママちょっと来て』、『独眼竜政宗』他)、映画『モスラ』に子役で出演。子役になったのは、東宝児童劇団の新聞折込がきっかけであったが、同劇団は実際には東宝とは関係がなく『モスラ』の撮影後に遁走したため、田山にはギャラが支払われなかったという[1]。
中学生の時から柔道を始め、大学生の時には柔道三段の段位をとっていた[2]。柔道をしていた時は体重110kgの巨体だったが、歌手デビューした時には75kgに減っている[2]。
高校生の時にエレキバンドを結成し、ドラムとボーカルを務める[2]。若い頃、新しいドラムセットが欲しく、賞金目当てで[2]、浜口庫之助が審査員を務めるフジテレビの「勝抜きのど自慢」に出演[2]。自作の曲『夏の夕日』をギターの弾き語りで歌って3週勝ち抜き、賞金を獲得した[2]。それが縁となり浜口に師事、作曲を学ぶ[1]。その間、浜口が手がけたにしきのあきららに作品も提供した。
後に作詞家・千家和也の事務所に招かれ、演歌の作曲も手がけるようになる。おさだたいじに『妻あるあなたに』(1972年)という楽曲を提供する。
歌手デビュー
[編集]歌手デビューは1974年、コーラスグループ「赤い花」のメインボーカリストとして、当時の資生堂キャンペーンソング『赤い花みつけた』(ポール・ウィリアムズの作品の日本語訳詞曲)をキャニオンレコード(現ポニーキャニオン)からリリース[注釈 1]。そのB面の『今愛の中で』(中里綴・作詞)では作曲を手掛けた。またこのグループには新生五つの赤い風船メンバーでもある青木まり子も在籍。
その後、同じキャニオンレードより男女デュオ「たやまと夕子」でシングル『雨の交差点』、アルバム『暮れそで暮れない黄昏どきは』をリリース。このアルバムがCBSソニーの当時のディレクターだった酒井政利が注目。このアルバムに収録されていた曲『人恋しくて』が南沙織のシングル曲ともなり[注釈 2]、この曲は1975年の第17回日本レコード大賞歌唱賞受賞曲となった。
田山自身のソロ・歌手としてのデビュー曲は、『春うらら』(1976年)に決定。この『春うらら』は当時数多くあった音楽祭(TBS『東京音楽祭』、文化放送『新宿音楽祭』、ニッポン放送『銀座音楽祭』、FM東京『FMリスナーズ・グランプリ』)の受賞曲に、それぞれ選出される。特にその当時TBSが主催していた「第5回東京音楽祭世界大会」では、「THE BEST JAPANESE ARTIST(外国審査員団賞)」を受賞した[注釈 3]。
3枚目のシングル『愛することから始めてみませんか』は、この1976年当時TBSテレビで放送されていた「白い秘密」(田宮二郎主演、片平なぎさの女優転向第一作作品)の主題歌となった。
作曲家として
[編集]ほか田山は自ら作曲家として南沙織の『人恋しくて』、『気がむけば電話して』(1976年)を筆頭に、太田裕美・アグネスチャン・小林麻美・中森明菜・芹洋子・狩人・荒川務・塚田三喜夫など、沢山の歌手に作品が提供されることとなる。
また、作曲家としてTBSのアニメ番組「まんが日本絵巻」(1977年)の主題歌『なんじゃらもんじゃら』、NHKの音楽番組「歌はともだち」の主題歌『なにしてる』(田中星児)の他、NHK「おかあさんといっしょ」の童謡(「おおきなくちあけて」「わらいごえっていいな」「きめたきめた」「ムギューだいすき」など多数)も手掛けた。
TVのCM曲では武田薬品工業「アリナミンA」や阪急百貨店、亀田製菓など多数を手掛け、自ら歌った曲がオンエアされた。演劇・映画界においても、石橋蓮司・緑魔子率いる劇団「第7病棟」では、その前身である劇団「桜社」設立から現在に至るまで音楽プロデューサーを務め、同劇団の直近作の2000年公演「雨の塔」でも劇中歌など全曲を作曲・プロデュース。1970年には緑魔子主演・東陽一監督の映画「やさしいにっぽん人」(東プロ)の音楽を担当している。
歌手活動再開など
[編集]1977年には「NHKフォーク・フェスティバル」に“時代を象徴するミュージシャン4名”に選出され出演。共演はハイファイセット、大橋純子、松任谷由実。当日の模様はテレビ・FMでも放映された。また1976 - 1978年にかけては、ラジオ関東(現アール・エフ・ラジオ日本)の深夜番組「真夜中のコーヒーブレイク」のパーソナリティーを作詞家の中里綴と共に務めていた。また1981年1~3月の3か月間、NHK・クイズ番組「連想ゲーム」のレギュラー解答者(5枠)で出演していた時期もある[注釈 4]。
しかし、その後、所属レコード会社制作サイド内での覇権争いの犠牲となり、制作の完成したアルバム発売が見送られたり、担当プロデューサーが刑事事件[注釈 5]を起すなど不運が度重なった[5]。結果、1980年代以降、表舞台では姿を見る機会が殆どなくなっていた。
そのような中でも、劇団第7病棟女優の田所陽子との“作詞(田所)作曲(田山)ユニット「HIP」”の自主制作アルバムをリリース(1989年)するなど、地道な創作活動は継続。引き続きNHK「おかあさんといっしょ」への作品提供も行われていた。
そして2004年、歌手活動再開を決意。旧友のミュージシャン濱田金吾(元クラフト)らの音楽的支援を受け、活動を再開。東京・名古屋・沖縄(石垣島)などで定期的にライブ活動を行っている。
2005年、そのライブ会場(第1回銀座モナリザライブ)で、田山は「春うらら」の作詞者である最首としみつと20数年振りに再会。それ以降、二人による新作がライブでも発表されている。その新作のひとつである「カラス」は青木まり子のニューアルバムにも収録されている。
現在
[編集]2015年より徳島県美馬市脇町の古民家に移住。近在のアマチュアミュージシャンに呼びかけ、当地の史跡「うだつの町並」で毎日曜日にストリートライブのプロデュースを開始[注釈 6]。
自宅で妻が起業したシフォンケーキ店(焼菓子工房ムギュー)を手伝う傍ら、自らも作詞・作曲・ギター・ボーカル等を教える「シンガーソングライター・田山塾」を開講。一方で「チューリップ祭」「ひな祭り」「そばの花まつり」等の祭りや、市の観光交流センター開所式等、地域の催事に出演。
また「美馬フォークジャンボリー」「アエルワロビーコンサート」「パパラギライブ」等近隣ミュージシャン主催のライブに多数参加。2016年には熊本地震支援チャリティーの複数のイベントにも参加するなど精力的に活動を続けている。
ディスコグラフィー
[編集]シングル
[編集]発売日 | 規格品番 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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キャニオンレコード | ||||||
1976年2月26日 | A-296 | A | 春うらら | 最首としみつ
補:中里綴 |
田山雅充 | 船山基紀 |
B | お嫁に行くんだってね | 中里綴 | 田山雅充 | |||
1976年6月 | C-8 | A | 嗚呼 | 最首としみつ | 田山雅充 | 船山基紀 |
B | 小さな会話 | 中里綴 | ||||
1976年10月25日 | C-26 | A | 愛することから始めてみませんか[注釈 7][注釈 8] | 中里綴 | 田山雅充 | 船山基紀 |
B | 淋しい夜だから | |||||
1977年7月 | C-59 | A | 紅葉 | 中里綴 | 田山雅充 | 田山雅充 |
B | 姫スイレン | 松井忠重 | ||||
1977年11月 | C-75 | A | 夢うつつ | 最首としみつ | 田山雅充 | 松井忠重 |
B | 冬枯れの街 | 中里綴 | 田山雅充 | |||
1978年9月 | F-218 | A | 夜露 | 中里綴 | 田山雅充 | 船山基紀 |
B | 1と1/2の人生 | |||||
1979年5月 | F-234 | A | 巡恋譜 | 中里綴 | 田山雅充 | 松井忠重 |
B | 海 | |||||
ワーナー・パイオニア | ||||||
1982年9月 | L-1609 | A | てるてる坊主 | 中里綴 | 田山雅充 | 松井忠重 |
B | こぼれ松葉 | 吉田正美 |
アルバム
[編集]発売日 | 規格 | 規格品番 | アルバム | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1976年3月25日 | LP | C-3066[注釈 9] | 風裸風裸-春うらら
※ 作曲・唄・田山雅充
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1990年10月21日 | CD | PCCA-00153 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1976年9月 | LP | AF-6001 | 風裸風裸-嗚呼
※ 作曲・唄・田山雅充
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1977年5月 | LP | AF-6017 | 紅葉-風裸風裸
※ 作曲・唄・田山雅充
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CD | 自主制作 | 風に乗って・・・HIP
※ 作曲・唄・田山雅充
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楽曲提供
[編集]- 小野寺昭『燃えてるあいつ』
- 中森明菜1stアルバム『プロローグ〈序幕〉』収録曲2曲(1982年)「Tシャツ・サンセット」「A型メランコリー」
- 南沙織『人恋しくて』(1975年)、『気がむけば電話して/ふりむいた朝』(1976年)※すべて作曲のみ
- 太田裕美 アルバム『12ページの詩集』(1976年)、収録曲「失くした耳飾り」※作曲
俳優
[編集]映画
[編集]テレビドラマ
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ CMで同曲を歌ったのは小坂忠だった[4]。
- ^ この曲は、前述の『今愛の中で』と同じ中里綴・作詞、田山作曲によるもの。
- ^ この回のグランプリ受賞はナタリー・コール。
- ^ 前任の5枠レギュラー解答者だった、蟇目良(元モデル・俳優)が1981年1月に急遽休演した為、その間は田山が墓目の代行・繋ぎ役として短期間レギュラーを務める。しかし同年3月に入っても、墓目は復活する目途が立たない理由で正式降板。同年4月から後任の5枠レギュラー解答者には、水島裕(現声優・ナレーター)が抜擢となった。
- ^ この事件でコンビを組んでいた作詞家中里綴が死去。
- ^ この催しは2016年現在も継続中で、美馬市やつるぎ町・阿波市・徳島市など県内はもとより、四国各地からもミュージシャンが訪れ演奏するようになっている。
- ^ TBSテレビ連続ドラマ「白い秘密」主題歌。
- ^ オリコン最高位96位。
- ^ オリコン最高位66位。
- ^ 資料によっては、中条信二と表記している[7]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h モスラ映画大全 2011, pp. 50–52, 聞き手・友井健人「インタビュー 子役 田山雅充」
- ^ a b c d e f g 明星 1976年5月号「FOLK&ROCK NOW」p.114
- ^ a b 野村宏平、冬門稔弐「12月2日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、348頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。
- ^ ON・アソシエイツ ベスト・セレクション第2弾! - HMV ONLINE
- ^ 日刊ゲンダイ「復縁迫る前夫にメッタ刺しに…元アイドル江美早苗の“不運”」 http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/139254/
- ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 55, 「『モスラ』作品解説/俳優名鑑」
- ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 536, 「主要特撮作品配役リスト」
参考文献
[編集]- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
- 『別冊映画秘宝 モスラ映画大全』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年8月11日。ISBN 978-4-86248-761-2。
- 『東宝特撮映画大全集』執筆:元山掌 松野本和弘 浅井和康 鈴木宣孝 加藤まさし、ヴィレッジブックス、2012年9月28日。ISBN 978-4-86491-013-2。