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田原親述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
田原親述
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 亀若丸、二郎、親房
官位 中務丞中務大輔
主君 大友政親義右親治義長義鑑
氏族 田原氏(宗家)
父母 父:田原親宗、母:杉三河守
兄弟 親述政定興直(吉弘三郎)
正室:佐伯惟勝
親董親宏
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田原 親述(たわら ちかのぶ)は、戦国時代武将大友氏の家臣。

田原親宗の子で、明応3年(1494年)に父が戦死したため家督を継いだ。大友政親義右父子の争いに介入したり、大内義興による大聖院宗心の擁立への加担、永正14年(1517年)の朽網親満の反乱への加担など、大友宗家に事あるごとに反抗した。大永2年(1522年)冬には大友義鑑大神親照を讒言して討伐の命令を出させて自ら討伐したという。

このような経歴から義鑑など歴代大友宗家は田原家を警戒し[1]、息子の親董(ちかただ)と親宏は追放されたり所領を没収されたりする憂き目にあった。

脚注

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  1. ^ 大友義長は「田原家は親述から前の8代にわたって謀反をしており、決して気を緩めるな」と遺訓している(大友文書)。外山幹夫『大友宗麟』67頁。

参考文献

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