田井光義
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時代 | 平安時代末期 - 鎌倉時代前期 |
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生誕 | 天治元年(1124年)? |
死没 | 建保元年4月1日(1213年4月23日) |
改名 | 田井五郎(号) |
戒名 | 天義院田月光輪 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
主君 | 源頼朝→頼家→実朝 |
氏族 | 甲斐源氏田井氏 |
父母 | 父:源清光、母:駿河国池田宿の遊女 |
兄弟 |
逸見光長、武田信義、加賀美遠光、 安田義定、二宮清隆、河内義長、光義、曾禰厳尊、奈胡義行、浅利義遠、八代信清、利見義氏、河内長義、源道光、源光賢 |
子 | 實光ら |
田井 光義(たい みつよし)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての武将。信濃国望月の天神林城主。
甲斐源氏の祖である源清光(逸見清光)の七男[1]とされる。母は駿河国池田宿[2]の遊女とされ、長兄・逸見光長や次兄・武田信義と同腹であると伝わる。また、六兄・河内義長の長子とも伝わる。
田井氏は、上代より帰化族の姓としてあり[3]、山梨郡の地名とも言われるが詳細は不明。光義が田井氏を継いで名乗ったと思われる。
脚注
[編集]出典
[編集]- 『甲斐国志』巻之九十三、巻之九十五