田之上幸男
田之上幸男 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県 |
生年月日 | 1947年11月17日(77歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 |
栗東・田之上勲(1970年 - 1990年) 栗東・フリー(1990年 - 1991年) |
初免許年 | 1970年3月8日 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 | 1990年12月23日 |
重賞勝利 | 1勝 |
通算勝利 | 2282戦240勝 |
田之上 幸男(たのうえ さちお、1947年11月17日 - )は、鹿児島県出身の元騎手。
経歴
[編集]1970年代
[編集]1970年3月に阪神・田之上勲厩舎からデビューし、同8日の京都第12競走5歳以上200万下・ヒガシオー(17頭中15着)で初騎乗[1] [2]を果たす。
5月16日の阪神第2競走4歳未勝利・ユーゲントで初勝利[2]、同日の第7競走4歳250万下・オープンツバメでも勝利し初の1日2勝[3]を挙げた。
1年目の1970年は初の2桁となる10勝、2年目の1971年には自己最多の19勝をマークし、1977年まで8年連続2桁勝利を記録[4]。
2年目の1971年には夏の小倉戦で活躍し、7月17日には3連勝で初の1日3勝[5]、8月29日には2度目の1日3勝[6]、9月5日には初の2日連続勝利を3度目の1日3勝[6]を挙げるなど、19勝中15勝[7]をマーク。7月17日の小倉第4競走3歳新馬ではデビュー前から追い切りで好時計を連発していた[8]シンモエダケに騎乗し[9]、男馬を相手にいきなり1番人気に支持されたが、好位から抜け出すや独走し、後続を3馬身もちぎり捨てて58秒9のレコード勝ちであった[8]。
九州産馬テツミノリでは3連勝で重賞昇格前の小倉3歳ステークスを6頭中4番人気で制し[10]、9月の阪神オープンではシンモエダケの3着[10]、デイリー杯3歳ステークスではシンモエダケを抑えて2着[11]に入った。
1971年から1973年にはアチーブスターに18戦騎乗し[12]、1971年は3戦目の新馬戦でタニノチカラの4着[12]、1972年はヒヤシンス賞(200万下)でロングエースの4着[12]、桜花賞トライアルの阪神4歳牝馬特別では12頭中11番人気ながら後方待機から追い込んで4着を確保し、桜花賞への優先出走権を獲得[13]。引退レースとなった1973年の京都記念(秋)でも騎乗し、14頭中14番人気ながら4着に入った[12]。
3年目の1972年にはシンモエダケで2月の阪神オープンを勝利し[9]、アヤヒリュウでは3月の阪神オープンでトクザクラの3着[14]、5月の京都オープンではキョウエイグリーンの2着[14]に入った。
1974年には宮崎産馬ニルキング[15]ではデイリー杯3歳ステークスでロングホーク・エリモジョージを抑えて制し[16]自身唯一の重賞勝利[17]を挙げ、1975年にはシンザン記念でエリモジョージの3着[15]、きさらぎ賞でハナ、ハナ、アタマの大接戦の3着[18]に入った。
1975年には後に「九州産馬の天皇賞」と形容される[19]霧島賞をトリコロールで初めて制し、1976年・1977年にはソウキジンで制し連覇に導くと同時に自身は3連覇[20]。
1976年にはツキノタイシで毎日杯2着[21]に入り、1977年12月4日の中京第4競走3歳300万下ではシンモエダケの初仔ファーストシンモエ[22]で勝利[23]。
1978年には1月28日の中京第7競走4歳オープンでファーストシンモエをインターグシケンの3着[23]に導いたが、初の1桁勝利となる8勝[4]に終わる。
1979年には中京で行われた神戸新聞杯で9頭中8番人気の牝馬フェロースピードに騎乗し、オークス馬アグネスレディーにテルテンリュウ・ニチドウタローを抑えて2着[24]と健闘。同じく中京で行われた京都新聞杯ではタマパレードでニチドウタローにダービー馬カツラノハイセイコを抑えて4着[25]、京都牝馬特別ではフェロースピードでアグネスレディー・ミスカブラヤに桜花賞馬ホースメンテスコを抑えてインターグロリアの4着[26]に入り、2年ぶりの2桁となる11勝[4]をマーク。
1980年代
[編集]1981年には15勝、1982年にはアチーブスターの初仔アルハーオー[27]での2勝を含む11勝[28]と2年連続2桁勝利[4]をマークし、1982年12月5日の中京第5競走3歳新馬ではエジードオーでスズカコバンの3着[29]、1983年12月3日の阪神第9競走かえで賞ではユーショウアローでゴールドウェイの3着[30]に入った。
1984年から1987年には4年連続2桁勝利[4]を記録し、1985年にはギャロップダイナが「カラ馬が1着」と話題をまいた[31]札幌日経賞でアチーブスターの第3仔ワンダービクトリー[27]に騎乗しリキサンパワー・キングハイセイコーの間に入る4着であった[32]。
1987年の10勝が最後の2桁[4]となり、1989年にはスリーフレームで朝日チャレンジカップではプレジデントシチー・シヨノロマンを抑えての2着[33]、福島記念ではオースミシャダイ・プレジデントシチーを抑えての3着[34]、ナルシスノワールではCBC賞で10番人気ながら3着[35]に入った。
1990年代
[編集]1990年にはフリーとなり、ナルシスノワールでは阪急杯でラッキーゲラン・パッシングショットを抑えての3着[36]、セントウルステークスでは逃げて3着ダイユウサクとハナ差4着[37]に入った。
1990年10月28日の京都第10競走壬生特別・ユーショウプロミスが最後の勝利となり、12月23日の京都第10競走円山特別・ニッポーデュレン(13頭中12着)を最後に現役を引退[38]。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
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平地 | 240 | 228 | 223 | 1591 | 2282 | .105 | .205 |
- 主な騎乗馬
- ニルキング(1974年デイリー杯3歳ステークス)
脚注
[編集]- ^ “田之上幸男の近走成績”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ a b “田之上幸男のプロフィール”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “田之上幸男の近走成績”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ a b c d e f “田之上幸男の年度別成績”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|田之上幸男の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ a b “抽出[通算 1着レース]|田之上幸男の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “抽出[1971年度 1着レース]|田之上幸男の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ a b “【井崎脩五郎のおもしろ競馬学】霧島山噴火…シンモエダケという馬がいた+(2/2ページ) - MSN産経ニュース”. 2011年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月5日閲覧。
- ^ a b “シンモエダケ (Shimmoedake)”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ a b “テツミノリ”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “デイリー杯3歳ステー|1971年10月10日”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ a b c d “アチーブスター (Achieve Star)”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ 『優駿』1990年11月号 42頁
- ^ a b “アヤヒリュウ (Aya Hiryu)”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ a b “ニルキングオー (Nyr King O)”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “3歳ステークス|1974年9月29日”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|田之上幸男の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “きさらぎ賞(NHK賞|1975年2月9日”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ 「藤岡厩舎の躍進を支える今年JRA未勝利の大下」『スポーツニッポン』2015年8月21日。2024年11月5日閲覧。
- ^ “レース名[霧島賞]のレース検索結果|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “毎日杯|1976年2月29日”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “シンモエダケの産駒成績|競走馬データ- netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ a b “ファーストシンモエ”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “神戸新聞杯|1979年9月30日”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “京都新聞杯|1979年10月21日”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “京都牝馬特別|1979年10月28日”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ a b “アチーブスターの産駒成績|競走馬データ- netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “抽出[1982年度 1着レース]|田之上幸男の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “3歳新馬|1982年12月5日”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “かえで賞|1983年12月3日”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ 『優駿』1989年5月号、pp.38-43
- ^ “札幌日経賞|1985年6月9日”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “朝日チャレンジカップ|1989年9月17日”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “福島記念|1989年11月19日”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “ナルシスノワール (Narcisse Noir)”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “阪急杯|1990年6月3日”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “セントウルステークス|1990年9月9日”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。
- ^ “田之上幸男の近走成績”. netkeiba.com. 2024年11月5日閲覧。