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田中喜八郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中 喜八郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県
生年月日 (1937-07-26) 1937年7月26日(87歳)
身長
体重
176 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1959年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田中 喜八郎(たなか きはちろう、1937年7月26日 - )は、大分県[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは投手

来歴・人物

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津久見高校では、エースとして1955年夏の東九州大会決勝に進み、出水高を完封して甲子園出場を決める。選手権大会では2回戦(初戦)で成田高牧野宏と投げ合い、大差で完封勝ち。しかし準々決勝では立命館高富永格郎に完封負けを喫する[2]

卒業後は社会人野球東洋高圧大牟田に進みエースとして活躍。1958年都市対抗日鉄二瀬の補強選手として出場。井洋雄、村上峻介らと強力投手陣を組み決勝に進出するが、日本石油の伊藤正敏に完封され準優勝に終わる[3]

1959年西鉄ライオンズへ入団[1]。実績のある本格派右腕として期待され、カーブやシュートを武器に同年は55試合に登板。5月からは先発としても起用されるが、わずか1勝にとどまる。同年から翌1960年にかけ11連敗を記録、これは2023年隅田知一郎が更新するまで投手の球団ワースト記録だった[4]。その後も先発、中継ぎとして活躍、1962年には6勝を記録するが、翌1963年は登板機会が減少し同年限りで引退した[1]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1959 西鉄 55 16 0 0 0 1 9 -- -- .100 554 136.2 123 9 34 1 6 102 1 0 55 51 3.35 1.15
1960 23 12 4 0 1 3 5 -- -- .375 370 95.0 72 11 20 1 4 70 2 0 28 26 2.46 0.97
1961 29 7 0 0 0 2 4 -- -- .333 286 66.0 75 11 17 1 0 45 3 0 36 27 3.68 1.39
1962 44 18 2 2 2 6 11 -- -- .353 524 124.2 130 8 29 1 5 88 3 0 60 50 3.60 1.28
1963 3 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 24 5.0 9 1 1 0 1 0 0 0 6 6 10.8 2.00
通算:5年 154 53 6 2 3 12 29 -- -- .293 1758 427.1 409 40 101 4 16 305 9 0 185 160 3.36 1.19

背番号

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  • 15 (1959年 - 1962年)
  • 20 (1963年)

脚注

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  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、338ページ
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  4. ^ "西武単独2位浮上ならず 隅田球団ワースト12連敗 外崎、中村が一発も空砲". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 12 April 2023. 2023年4月12日閲覧

関連項目

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外部リンク

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