生駒利勝
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 寛永6年(1629年) |
死没 | 元禄7年4月2日(1694年4月25日) |
改名 | 主計、右近、大膳(通称)、唯転 |
戒名 | 月廓院殿物山唯転居士 |
墓所 | 清水山墓地 |
主君 | 徳川光友、綱誠 |
藩 | 尾張藩士 |
氏族 | 肥田氏→生駒氏 |
父母 |
父:肥田忠重、母:生駒利豊の娘 養父:生駒利豊 |
妻 | 阿部正致娘 |
子 |
利章、宗勝、 寸美(松平千之助妻、後高木清長妻)。 |
生駒 利勝(いこま としかつ)は、江戸時代の尾張藩士、尾張生駒家第6代当主。
尾張藩士肥田孫左衛門の長子だったが、母方祖父の生駒利豊が男子に恵まれず、利豊の養子として生駒宗家を継ぐ(肥田家は次子が継ぐ)。
尾張藩2代藩主徳川光友に仕え、3代藩主綱誠の傳役を務めた。尾張生駒家中興の祖と呼ばれる。
元禄7年(1694年)、66歳で死去した。