生稲晃子 デートはこれから
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生稲晃子 デートはこれから | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
放送期間 | 1989年4月15日 - 1990年4月8日 |
放送時間 |
毎週土曜日 21:30 - 22:00 → 毎週日曜日 20:30 - 21:00 |
放送局 | ニッポン放送 |
制作 | ニッポン放送 |
ネットワーク |
HBCラジオ (1989年10月 - 1990年4月) |
パーソナリティ | 生稲晃子 |
生稲晃子 デートはこれから(いくいなあきこ デートはこれから)は、ニッポン放送の制作により放送されていたラジオ番組。ニッポン放送での放送期間は1989年4月15日から1990年4月8日まで。
概要
[編集]生稲晃子は、ラジオ初レギュラーの『おニャン子のアブない夜だよ』(1987年4月6日 - 9月、渡辺満里奈と共演)、その後『TOKYOベストヒット』(1987年7月3日 - 1989年4月7日)と出演して来たが、それまで単独レギュラー番組は持っていなかった。そんな生稲にとっての初単独パーソナリティ番組である[1]。「これからのデートの仕方」を考えることをテーマとしてスタートした[2]。毎週土曜日21:30枠の放送だった当時はニッポン放送ショウアップナイターの直後の時間帯だったためにナイター中継延長も多く、当番組は度々短縮または休止になって放送が少なかった(番組がスタートしてから1989年5月27日までの7週の間に完全に放送されたのは2回、1回は短縮放送で、あとの4回は完全休止だった[3])が、ナイターオフシーズンに入った1989年10月からは放送予定日は休みなく放送されるようになった[2]。
リスナーの年齢層は10代後半がメインで、その性別比率は男性7割、女性3割だったというデータが残っている[2]。はがきが採用されたリスナーには「秘密のデートグッズ」がプレゼントされていた[2]。
主なコーナー
[編集]- 今週のデートコース
- 数字パズル1917[4]
- マイショッピング
- 何が、どこでどれほど安く買えるかという情報を集めていたコーナー[4]。
- 不滅の水かけ論
- リスナーが提起した問題に生稲も参加して盛り上がっていたコーナー[5]。
- 必殺
失恋人 激励局
- 失恋したリスナーの恨みや不満などを生稲自身が引き受けていた。1989年10月から[2]。
放送局
[編集]- ニッポン放送(制作局)
- HBCラジオ:毎週土曜日 20:00 - 20:30 (1989年10月から1990年4月まで)
脚注
[編集]ニッポン放送 土曜21:30 - 22:00 枠 (1989年4月15日 - 1989年10月7日) |
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
生稲晃子 デートはこれから
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ニッポン放送 日曜20:30 - 21:00 枠 (1989年10月15日 - 1990年4月8日 ナイターオフ枠) |
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1989年度
生稲晃子 デートはこれから |
1990年度
スーパーステーション (20:00 - 21:00) |