甘露寺豊長
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 天正18年(1590年) |
死没 | 慶長11年8月21日(1606年9月23日)[1] |
官位 | 従五位上、右兵衛佐 |
主君 | 後陽成天皇 |
氏族 | 正親町三条家→甘露寺家 |
父母 |
父:正親町三条公仲、母:勧修寺晴秀の娘 養父:甘露寺経遠 |
兄弟 | 正親町三条実有、中川貞秀、豊長 |
妻 | 家女房 |
子 | 養子:時長[2]、嗣長[3] |
甘露寺 豊長(かんろじ とよなが)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての公家。官位は従五位上・右兵衛佐。甘露寺家22代当主。
経歴
[編集]権中納言・正親町三条公仲の三男として誕生。蔵人頭右中弁・甘露寺経遠の養子となる。
慶長11年(1606年)、卒去。家督は豊長の兄弟である中川貞秀の子で養子・時長が継いだ。
系譜
[編集]- 父:正親町三条公仲(1557-1594)
- 母:勧修寺晴秀の娘
- 養父:甘露寺経遠(1576-1602)
- 妻:家女房
- 生母不明の子女
- 養子
- 男子:甘露寺時長 - 中川貞秀の長男、右大弁
- 男子:甘露寺嗣長 - 中川貞秀の次男