甘露寺清長
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時代 | 室町時代前期 |
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生誕 | 康暦3年/天授7年(1381年) |
死没 | 応永21年8月29日(1414年10月12日) |
官位 | 従三位・権中納言 |
主君 | 後小松天皇→称光天皇 |
氏族 | 甘露寺家 |
父母 | 父:甘露寺兼長、母:日野時光娘 |
兄弟 | 清長、房長、兼覚、万里小路豊房、経子 |
子 | 忠長 |
甘露寺 清長(かんろじ きよなが)は、室町時代前期の公卿。権大納言・甘露寺兼長の子。官位は従三位・権中納言。
経歴
[編集]右兵衛権佐を経て、応永6年(1399年)3月27日、五位蔵人に任じられる。正五位下に加階の後、応永8年(1401年)に右少弁。応永13年(1406年)4月23日に蔵人を辞して、同年8月17日に左少弁に転じる。翌14年、右中弁。
応永18年(1411年)11月25日に後小松天皇の蔵人頭に任ぜられると共に右大弁に昇進し、正四位上に加階された。引き続き称光天皇の蔵人頭を経て、応永20年(1413年)2月1日に左大弁兼参議となり、5月1日に従三位に叙される。5月20日に甘露寺家では初となる伝奏に任ぜられるが、6月24日(7月21日)には出仕停止を命じられ、伝奏を解任される。翌応永21年(1414年)3月16日に近江権守を兼任するも、8月29日に34歳で薨去、死の前日に権中納言に任ぜられた。
子・忠長はまだ幼く、弟・房長が家督を継いだが、この事が後に紛争を招くことになった。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 橋本政宣編『公家事典』(吉川弘文館、2010年(平成22年)) ISBN 978-4-642-01442-7 P472
- 井原今朝男『室町期廷臣社会論』(塙書房、2014年(平成26年)) ISBN 978-4-8273-1266-9 P291
- 『大日本史料』第7編第20冊。