瓜破村
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うりわりむら 瓜破村 | |
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廃止日 | 1955年4月3日 |
廃止理由 |
編入合併 茨田町、長吉村、瓜破村、矢田村、加美村、巽町 → 大阪市 |
現在の自治体 | 大阪市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
郡 | 中河内郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,063人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 大阪市、松原市、中河内郡長吉村、矢田村 |
瓜破村役場 | |
所在地 | 大阪府中河内郡瓜破村大字東瓜破 |
座標 | 北緯34度36分04秒 東経135度33分14秒 / 北緯34.60119度 東経135.554度座標: 北緯34度36分04秒 東経135度33分14秒 / 北緯34.60119度 東経135.554度 |
ウィキプロジェクト |
地理
[編集]- 河川:大和川
歴史
[編集]村名の由来には道昭が当地で偶然得た天神尊像にちょうど手元にあったウリを供えたが、割れてしまったことに由来する[1]という説[注釈 1]や、当地の住民が空海にウリを進上した説がある。
沿革
[編集]- 1680年(延宝8年) - 丹北郡瓜破村が東瓜破村、西瓜破村に分村。
- 1722年(享保7年) - 丹北郡万屋新田が開拓される。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、丹北郡東瓜破村、西瓜破村、万屋新田が合併して瓜破村が発足。大字東瓜破に村役場を設置。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡の統廃合により、所属郡が中河内郡に変更。
- 1910年(明治43年) - 大字万屋新田を万屋に改称。
- 1944年(昭和19年)- 村内に大阪金属工業株式会社大和川製作所が竣工。[3][4][注釈 2]
- 1949年(昭和24年) - 東佃町、西佃町、国塚町、牛屋町、広狭町、弁天町、狭川町を起立し、7町3大字となる。
- 1955年(昭和30年)4月3日 - 大阪市に編入され、東住吉区の一部となる。同日瓜破村廃止。
- 1974年(昭和49年)7月22日 - 分区により、旧村域が平野区の一部となる。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]現在は旧村域にOsaka Metro谷町線の喜連瓜破駅が所在するが、当時は未開業。
道路
[編集]現在は旧村域を阪神高速14号松原線が通過するが、当時は未開通。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 27 大阪府
- 谷川彰英『47都道府県・地名由来百科』丸善出版、2015年。ISBN 978-4-621-08761-9。