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瑞穂古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
瑞穂古墳群
2号墳(2016年平成28年)1月)
所在地 愛知県名古屋市瑞穂区豊岡通3丁目
位置 北緯35度7分23.9秒 東経136度56分24.4秒 / 北緯35.123306度 東経136.940111度 / 35.123306; 136.940111座標: 北緯35度7分23.9秒 東経136度56分24.4秒 / 北緯35.123306度 東経136.940111度 / 35.123306; 136.940111
形状 円墳
出土品 円筒埴輪
築造時期 6-7世紀(古墳時代
被葬者 不明
地図
瑞穂古墳群の位置(愛知県内)
瑞穂古墳群
瑞穂古墳群
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瑞穂古墳群(みずほこふんぐん)は、愛知県名古屋市瑞穂区豊岡通3丁目にある古墳の総称である。

概要

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6世紀から7世紀にかけて築造されたと考えられている。かつては4基の円墳が存在し、そのうち2-4号墳が約50メートル間隔で存在していたことから、地元では三つ塚と呼ばれていた[1][2][注 1]瑞穂陸上競技場(現在のパロマ瑞穂スタジアム)や瑞穂球場の建設・改修等によって、現存するのは2基のみ。発掘調査はなされていない[3]

現存する古墳

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1号墳
北緯35度7分23.9秒 東経136度56分24.4秒 / 北緯35.123306度 東経136.940111度 / 35.123306; 136.940111
豊岡小学校の校庭南側に位置する。高さは約4メートル、直径は20メートル以上あったと考えられている[4]が、現在残っている部分の規模はかなり小さい。豊岡小学校の敷地内にあるため開放していないので名古屋市長選挙や愛知県知事選挙や国政選挙などの選挙などがない限り入場できない。
2号墳
北緯35度7分23.9秒 東経136度56分28秒 / 北緯35.123306度 東経136.94111度 / 35.123306; 136.94111
名古屋市瑞穂公園内の児童公園の一角、野球場の南側にある。もとは高さ約7メートル・直径約30メートルの規模があったと推定されている[4]が、表土の流出が激しく外観は失われている。墳丘はチェーンで囲まれ立入禁止だが、子供でも容易に立ち入る事が可能な状態になっている。

滅失した古墳

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3号墳
2号墳の北側に存在した。野球場建設の際に削り取られ、現存しない。
4号墳
2号墳のそば、野球場豊岡小学校の間にある道路付近に存在したとされる[3]昭和25年(1950年)に瑞穂陸上競技場の拡張工事で削り取られ、現存しない。

出土品

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1号墳からは小型円筒埴輪片が、2号墳からは墳頂部に円筒埴輪列が見つかっている[3][5][6]。円筒埴輪はいずれも土師質で、外面に粗く縦ハケが施されている[3]。これらの出土埴輪は名古屋市博物館に所蔵されている。

脚注

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注釈

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  1. ^ 史跡説明板(名古屋市教育委員会設置)では、「三つ塚」を1-3号墳としている。

出典

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参考文献

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  • 史跡説明板. 名古屋市教育委員会.
  • 山田寂雀著 著、瑞穂区郷土史研究会編 編『瑞穂区の歴史』愛知県郷土資料刊行会〈名古屋区史シリーズ〉、1985年。ISBN 4871610357 
  • 瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会編 編『瑞穂区誌 区制施行50周年記念』瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会・名古屋市瑞穂区役所、1994年。全国書誌番号:94043882 
  • 新修名古屋市史資料編集委員会編 編『新修名古屋市史 資料編 考古1』名古屋市、2008年。ISBN 978-4-903305-02-8 
  • 瑞穂区役所・瑞穂区郷土史跡研究会編 編『みずほ検定 歴史・史跡・地名・産業文化編 公式テキスト』名古屋市瑞穂区役所、2012年。 

関連項目

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