コンテンツにスキップ

玉野宏昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
玉野 宏昌
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県神戸市北区
生年月日 (1978-06-01) 1978年6月1日(46歳)
身長
体重
182 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手三塁手外野手
プロ入り 1996年 ドラフト1位
初出場 1999年6月6日
最終出場 2004年8月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

玉野 宏昌(たまの ひろまさ、1978年6月1日[1] - )は、兵庫県神戸市北区出身の元プロ野球選手内野手外野手[1]

来歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

1978年6月1日、3人兄弟の長男として神戸市で生まれる。

神戸市立星和台中学校3年生の時に阪神・淡路大震災神戸市の自宅で3人兄弟とともに被災している。神戸弘陵高進学後は、野球部に所属し1年生からショートのレギュラーであった。2年生ではバッティングも開花し高校3年生の夏の兵庫大会では、準決勝で報徳学園を7対2で下したが、決勝では尼崎北高校に5対2で敗れ準優勝に終わる。高校時代の同級生山井大介は中日でもチームメイトであり、高校時代の1年後輩に元西武ライオンズの佐藤友紀がいる。

1996年度ドラフト会議にて西武ライオンズから1位指名を受けて入団。

プロ入り後

[編集]

1996年オフにFA読売ジャイアンツへ移籍した清原和博の背番号3番を背負ったが[1]トニー・フェルナンデスの加入もあって、3年で背番号33に変更となった。

1999年は出場6試合に留まる。

2000年は、開幕直後に二塁手としてスタメン出場、4月6日に藪田安彦からプロ初本塁打[1]、4月9日には4安打3打点の活躍を見せる。しかし、疲労と故障から長続きせず[1]、それ以降も一軍に定着できなかった。

2002年にはマクレーンの故障で三塁手としてスタメン出場するチャンスが巡ってきたが、連続エラーで棒に振った。二軍で三塁を守って1試合4失策したこともある。現役生活の後半では外野手として出場することもあった[1]

2004年のオフ、正津英志宮越徹両投手との交換トレードで大友進とともに中日ドラゴンズへ移籍。一軍の試合に出場することなく2005年オフに戦力外通告を受け、現役を引退[1]

引退後

[編集]

佐川急便でトラックドライバー、紙関係を取り扱う「ニッセイロールペーパー」での営業を経て[1][2]、2018年2月にソニー生命保険新宿ライフプランナーセンター第8支社へ転職[3]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1999 西武 6 17 17 1 3 0 0 0 3 2 0 0 0 0 0 0 0 3 1 .176 .176 .176 .353
2000 69 172 158 14 33 6 0 2 45 13 2 0 6 0 8 0 0 35 4 .209 .247 .285 .532
2001 35 79 71 6 16 1 0 2 23 9 0 0 1 0 6 0 1 11 0 .225 .295 .324 .619
2002 2 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2004 11 12 11 1 2 1 0 0 3 2 0 0 0 1 0 0 0 3 0 .182 .167 .273 .439
通算:5年 123 283 260 22 54 8 0 4 74 26 2 0 7 1 14 0 1 53 5 .208 .250 .285 .535

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 3 (1997年 - 1999年)
  • 33 (2000年 - 2004年)
  • 39 (2005年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h “清原2世”美人妻と充実の会社員生活”. zakzak (2012年3月28日). 2012年3月28日閲覧。
  2. ^ nikkansports.com ニッカン今井でございます
  3. ^ 元西武ドラ1玉野宏昌“清原の後継者”は保険マンで奮闘 猛勉強で宅建、FPも取得”. デイリースポーツ (2018年5月22日). 2018年7月22日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]