狩野寿石
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狩野 寿石(かのう じゅせき、寛永16年(1639年) - 享保3年7月17日(1718年8月18日))は、日本の江戸時代前期から中期にかけての狩野派(江戸狩野)の絵師。名は秀信、のち敦信。号は寿碩、のち寿石。通称は外記。
略伝
[編集]狩野信政を父、狩野探幽娘を母として、その長男として生まれる。1654年(承応3年)父信政が西の丸の御用を勤めた際に父に同行して京都より下り、徳川家綱にお目見え、その後御用を勤めるようになる。以後も京都にありつつ、江戸城本丸や御所の障壁画制作にたびたび参加する。1690年(元禄10年)12月5日京都より江戸に下り徳川綱吉にお目見え、以後は江戸に住み、3年後の1700年(元禄13年)浅草の猿屋町に屋敷を拝領した。以後その家系は猿屋町代地狩野と呼ばれ、表絵師として幕末まで続く。また1711年(宝永8年)朝鮮への贈呈屏風の制作も手がけ、同年徳川家宣から5人扶持を与えられた。享年80。墓所は墨田区法恩寺。法名は本是院壽石日空。
作品は以下に挙げる10点余りが知られている。
作品
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款・印章 | 備考 |
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竹に鶴・雪梅に小禽・籬に秋草 | 杉戸絵 | 醍醐寺三宝院 | 1650年(慶安3年) | 款記「狩野秀信十二歳筆」 | |||
定家詠十二月和歌花鳥図色紙貼交屏風 | 大安禅寺 | ||||||
群仙図屏風 | ニューオリンズ美術館 | ||||||
時代不同寄書 | 絹本著色 | 2帖50図 | 静嘉堂文庫 | 住吉具慶と合作。寿石は1帖担当 | |||
竹燕図 | 紙本墨画 | 1幅 | 東京国立博物館 | ||||
鳳凰孔雀図屏風 | 紙本金地著色 | 六曲一双 | 東京国立博物館 | ||||
別所長治夫妻像 | 絹本著色 | 双幅 | 三木市・法界寺 | 1670年(寛文10年)頃 | 両幅下部隅に「外記」朱文方印 | 表装背部に「別所長治殿繪像二幅江州之住人小野長左衛門貞柾寄附之 狩野外記秀信筆 播州三木虚空山法界寺什物林空哲讃代(後略)」の墨書。掛軸を治める箱底内部に「播州三木虚空山法界寺什物林空哲讃代 別所長治殿繪像二幅江州之住小野長左衛門寄附之 寛文十庚戌年九月吉日」の墨書。小野長左衛門は48年の長期にわたって当地を治めた代官。 | |
長谷寺春景図襖 | 紙本著色 | 襖4面 | 174.0x67.5(各) | 宮内庁京都事務所 | 1677年(延宝5) | 元東福門院御所奥対間所二之間と一之間境の襖[1]。 | |
賢聖障子図巻 | 紙本墨画 | 1巻 | 京都大学総合博物館 | 制作時期不明 | 款記「秀信筆」・「該記」朱文方印 | ||
仙人高士・香山九老・山水人物・芦雁・雪景山水図 | 前三者は紙本墨画淡彩・後二者は紙本墨画 | 襖64面 | 鹿苑寺方丈 | 1681年(延宝9年) | 内訳は、仙人高士20面、香山九老・山水人物各14面、芦雁4面、雪景山水図12面。寿石の一筆ではなく、幾人かの絵師の棟梁として制作か[2]。 | ||
松図・竹梅図襖 | 紙本金地著色 | 襖各4面計8面 | 富田林市・興正寺別院 | 1692年(元禄5年) | 款記「狩野寿石」・「秀信」朱文方印 | ||
徳川十七将図 | 紙本著色 | 1幅 | 長岡市立図書館 | ||||
松林図 | 紙本墨画金泥 | 襖4面 | 修学院離宮二之間襖絵 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 田邊昌平 「播州法界寺の別所夫妻像について」『史跡と美術』259号、1956年1月、pp.1-2、6-12
- 田中敏雄 「続・障壁画の旅-7- 興正寺別院(富田林市)の障壁画--狩野寿石秀信」『日本美術工芸』 634号、日本美術工芸社、1991年7月、pp18-26(同 『近世日本絵画の研究』 作品社、2013年3月、pp.175-181、ISBN 978-4-86182-412-8)
- 金澤弘 「鹿苑寺の襖絵」(有馬頼底監修 鹿苑寺編集 『鹿苑寺と西園寺』 思文閣出版、2004年4月21日、口絵8・29-38、pp.44-48、ISBN 978-47842-1190-6)