物部哥非
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物部哥非 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 物部哥非 |
発音: | {{{nihonngo-yomi}}} |
日本語読み: | もののべ の かひ |
物部哥非(もののべ の かひ)は、欽明朝前半期の物部連の百済官僚。日本人であるが、百済王権に仕えた倭系百済官僚[1][2]。官位は奈率[3]。
概要
[編集]百濟遺奈率阿乇得文。許勢奈率哥麻。物部奈率哥非等。上表曰。奈率彌麻沙。奈率己連等至臣蕃。奉詔書曰。爾等宜共在彼日本府同謀善計。早建任那。爾其戒之。勿被他誑。… 故臣遣奈率彌麻沙。奈率己連等。副己麻奴跪上表以聞。 — 日本書紀、巻第十九
物部哥非は、欽明天皇五年に奈率の官位を帯び、百済から倭国への使節団の一員として来日している[3]。
物部麻奇牟、物部用歌多、物部烏と共に、物部伊勢父根の係累とする説がある[4]。
『勿部将軍功徳記』に登場する百済の勿部珣を「物部珣」とし、物部氏の末裔とする説が有力である[5][6][7]。
脚注
[編集]- ^ 李在碩『소위 倭系百濟官僚와 야마토 王權』韓國古代史學會〈韓國古代史硏究 20집〉、2000年12月1日。
- ^ 李在碩『六世紀代の倭系百済官僚とその本質』駒澤史学会〈駒澤史学 62〉、2004年3月、38頁 。
- ^ a b 河内春人 2017, p. 112
- ^ 河内春人 2017, p. 113.
- ^ “순장군공덕기(珣將軍功德記)”. 聯合ニュース. (2006年11月17日). オリジナルの2022年2月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ “순장군 공덕기 (珣將軍 功德記)”. 国史編纂委員会. オリジナルの2022年10月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ 李成市「天龍山勿部珣功徳記にみる東アジアにおける人の移動」『仏教文明と世俗秩序』(勉誠出版、2015年)
参考文献
[編集]- 河内春人「古代東アジアにおける政治的流動性と人流」『専修大学社会知性開発研究センター古代東ユーラシア研究センター年報』第3巻、専修大学社会知性開発研究センター、2017年3月、103-121頁、CRID 1390572174779544704、doi:10.34360/00008258。