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牧野富成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
牧野富成
時代 江戸時代前期
生誕 寛永5年(1628年
死没 元禄6年8月6日1693年9月5日
改名 大吉(幼名)、教成(初名)、富成
墓所 埼玉県鴻巣市本町の勝願寺
官位 従五位下因幡守
幕府 江戸幕府奏者番
主君 徳川家綱綱吉
丹後田辺藩
氏族 牧野氏
父母 父:牧野信成、母:生駒満正の娘・長徳院
養父:牧野親成
兄弟 九右衛門、親成尹成小笠原吉政永成富成直成村越直成小浜嘉隆正室、阿部正能正室、細川興隆正室、毛利高直正室ら
正室:京極高三の娘・松光院
継室:藤波徳忠の娘・暁雲院
養子:英成
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牧野 富成(まきの とみしげ)は、丹後国田辺藩の第2代藩主。丹後田辺藩牧野家3代。京極家の田辺藩初代藩主・京極高三の娘婿である。

略歴

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寛永5年(1628年)、大身旗本(のち下総国関宿藩主)牧野信成の八男として生まれる。寛永18年(1641年)に徳川家綱の小姓に任じられ、明暦元年(1655年)に兄で初代藩主の親成の養子となる。

延宝元年(1673年)9月29日、親成の隠居により家督を継ぐ。日光祭祀奉行、延宝9年(1681年)8月には奏者番に任じられた。しかし隣藩の宮津藩との領地境界争いでは、幕府の裁定により貞享4年(1687年)に敗れている。

元禄6年(1693年)に田辺で死去した。享年66。跡を甥で養子の英成が継いだ。

系譜

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