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牧田諦亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
牧田 諦亮
人物情報
生誕 1912年????
日本の旗 日本滋賀県野洲市
死没 2008年1月22日(2008-01-22)(80歳没)
出身校 大谷大学
学問
研究分野 仏教学仏教史
研究機関 東亜同文書院大学京都大学人文科学研究所岐阜教育大学
学位 文学博士
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牧田 諦亮(まきた たいりょう、1912年明治45年) - 2011年平成23年))は、日本の僧侶、中国仏教史研究者。

略歴

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出生から修学期

1912年、滋賀県岩根村(現・湖南市)で生まれた。生家は野洲市浄土宗念仏寺。小学1年の時、京都の寺町乗願寺[1][2]・岩井真亮の弟子となった。

佛教専門学校(現佛教大学)を卒業後、大谷大学文学部東洋史学科に進学し、1936年に卒業。京都帝国大学文学部東洋史選科に進み、1939年に修了した。

東洋史研究者として

1942年、中国に渡り、上海東亜同文書院大学助手に就いた。戦後の1946年、東方文化学院京都研究所助手に採用された。同研究所が1949年に改組された後は後継の京都大学人文科学研究所教授となった。1976年、同研究所を退任。同年4月からは岐阜教育大学教授を務めた。

1997年、埼玉工業大学常任理事・学園長に就任。宗門においては、浄土宗勧学

受賞・栄典

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研究内容・業績

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専門は仏教史で、中国仏教史を専門とした。中国と日本の浄土教史や疑経について幅広く研究した。

著作

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著書
  1. 第1巻(1981年)[4]
  2. 第2巻(1984年)[5]
  3. 第3巻(1989年)[6]
著作集
  • 『牧田諦亮著作集』(全8巻) 臨川書店 同・編集委員会 編(落合俊典・船山徹 ほか全10名)[3]
  1. 第1巻「疑経研究」(2014年)[8]
  2. 第2巻「中国仏教史研究1」(2015年)[9]
  3. 第3巻「中国仏教史研究2」(2015年)[10]
  4. 第4巻「五代宗教史研究・中国近世仏教史研究」(2015年)[11]
  5. 第5巻「策彦入明記の研究」(2016年)
  6. 第6巻「浄土教研究・徹定上人研究」(2014年)[12]
  7. 第7巻「宋代仏教から現代仏教」(2014年)[13]
  8. 第8巻「雑篇(補遺篇)・総索引」(2016年)
共著
論文

外部リンク

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  • 牧田諦亮 『新纂浄土宗大辞典』Web版
  • 「追悼 牧田諦亮先生」『仏教史学研究』54-2, 2012年, 75-77頁.
  • 牧田文庫

脚注

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  1. ^ 京都通百科事典
  2. ^ [寺町乗願寺]
  3. ^ 臨川書店
  4. ^ 牧田は「道綽」を担当。「曇鸞」は藤堂恭俊が担当している。