牛山栄治
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牛山 栄治(うしやま えいじ、1899年9月12日[1] - 1979年2月11日)は、日本の教育者、歴史家。山岡鉄舟の研究の第一人者。
経歴
[編集]1899年、埼玉県に生まれる。16歳の頃から小倉鉄樹の薫陶を受けた。東京高等師範学校、次いで日本大学で日本史を専攻、卒業後は教育者として中等教育に従事する傍ら、山岡鉄舟の研究に打ち込み多数の著作を残した[2]。
1947年(昭和23年)、東京都中学校長会が発足すると1957年まで副会長を務めた[3]ほか、1949年(昭和24年)には文化庁による第1期国語審議会の委員を務めるなど公的な組織にも参加した[4]。
1966年(昭和41年)、日本大学豊山女子高等学校が開校すると初代学長に就任、1970年(昭和45年)まで務めた。後に群馬女子短期大学名誉教授[5]。1979年2月11日、胃がんのため東京都立駒込病院にて死去。79歳[6]。
著作
[編集]- 『山岡鐡舟先生正傳おれの師匠』春風館 1937年(小倉鐡樹、石津寛との共著)
- 『青年学校普通学科の実際指導』皇国青年教育協会 1940年
- 『山岡鉄舟伝』日本青年館 1942年
- 『新制中学校の一年間』原書房 1949年
- 『危機に立つ子供たち : 明日では遲すぎる学童の性教育』學藝圖書出版社 1952年(古谷綱武、長里清との共著)
- 『巨人西久保弘道』春風館 1956年
- 『明日の国,昨日の国』春風館 1959年
- 『中学生の計算事務・文書事務』暁出版 1960年 (竹内乙彦、藤川敬一、江崎真一、佐藤利兵衛との共著)
- 『山岡鉄舟の一生』春風館 1968年
- 『理想の教師像』春風館 1970年
- 『山岡鉄舟:春風館道場の人々』新人物往来社 1973年