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牛丸義留

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

牛丸 義留(うしまる よしと、1915年10月5日 - 没年不明)は、日本の厚生官僚。厚生事務次官を歴任。

経歴

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佐賀県多久市出身。旧制小城中旧制佐賀高校文科甲類[1]を経て1939年東京大学法学部政治学科卒[2]

内務省に入り、1948年厚生省に移る[2]。薬事局長、社会局長を経て、1965年厚生事務次官に就任[2]。退官後、1968年の参院選佐賀県から無所属で出馬したが、落選した。その後、年金福祉事業団理事長を経て、1979年佐賀県知事選に出馬したが落選した。その間、済生会中央病院の事務局長等顕職あったが2000年代から地元佐賀にて隠遁。その後体調悪化と共に子供の住む神奈川県真鶴町に転居。その後死去。

その他

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靖国神社へのA級戦犯の合祀に関し、厚生省援護局が1966年にA級戦犯の名簿を靖国神社に送ったことについて、当時厚生事務次官だった牛丸は「知らなかった」と証言している[3]

著書

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  • 「薬事法詳解」学陽書房1962年
  • 「新麻薬取締法解説」日本公定書協会1963年
  • 「老後の生活」社会保険法規研究会1966年

参考文献

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  • 稲田繁生「牛丸義留」『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年 ISBN 978-4-88298-001-8

脚注

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  1. ^ 「旧制高等学校物語 第17」財界評論社 1968年
  2. ^ a b c 「日本官界名鑑 第17版」156頁 日本官界情報社 1965年
  3. ^ 当時の厚生次官 合祀手続き『知らなかった』東京新聞2005年10月31日 2019年2月20日閲覧