片岡勇三郎
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片岡 勇三郎(かたおか ゆうさぶろう、1857年1月31日(安政4年1月6日[1][2])- 1906年(明治39年)8月30日[1][3])は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、埼玉県比企郡出丸村長。
経歴
[編集]武蔵国比企郡下大屋敷村(のちの埼玉県比企郡出丸村、現:比企郡川島町)で、代々里正を務めた片岡家に生まれる[1]。農業を営んだ[3]。
戸長、水利土功会議員、出丸村長、埼玉県会議員、同常置委員、同参事会員などを務めた[1][3]。この間、地租の軽減、養蚕改良、廃娼、条約改正反対などに尽力した[2]。
進歩党から自由党に移り、1898年3月、第5回衆議院議員総選挙で埼玉県第二区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた[1][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 大久保利夫『衆議院議員候補者列伝 : 一名・帝国名士叢伝 第三編』六法館、1890年。