片山太郎
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片山 太郎(かたやま たろう、1868年5月3日(明治元年4月11日[1])- 1940年(昭和15年)10月17日[1][2][3])は、明治後期から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、奈良県磯城郡川西村長。
経歴
[編集]大和国式下郡結崎村(奈良県[2]式下郡川西村、磯城郡川西村[3]を経て現川西町結崎[1])で、郡山藩大庄屋、同藩の金子御用達を務めた[1][4]片山家当主・片山太平[4](太兵衛[1])の長男として生まれた[1][4]。1883年(明治16年)家督を相続し農業を営む[4]。1886年(明治19年)郡山中学校(現奈良県立郡山高等学校)を卒業した[2][3]。
川西村会議員を務め[2][3]、1905年(明治38年)川西村長に就任[1]。その他、磯城郡会議員にも在任した[2][3]。中山梅治郎の死去に伴い、1919年(大正8年)11月に実施された第13回衆議院議員総選挙奈良県郡部補欠選挙で当選し[1][5][6]、衆議院議員に1期在任[2][3]。立憲国民党に所属し[2]、橿原神宮神域拡張の建議案を提出した[1]。
農業の振興に尽力し、1911年(明治44年)から耕地整理に着手し、1919年、二百町歩の面積を完了させた[1]。また、済生会員、日本赤十字社特別社員なども務め、公共のために多くの私財を提供した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 衆議院事務局編『総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 乾健治『郷土歴史人物事典 奈良』第一法規出版、1991年。